2025年4月4日金曜日

2025年4月4日の聖句

主は私たちを再び憐れみ、私たちの罪をことごとく、海の深みに投げ込まれる。(ミカ7:19)
私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、あらゆる不正から清めてくださいます。(1ヨハネ1:9)

なんてありがたい御言葉なのでしょうか。主は私たちを憐れんでくださいます。「私たちを憐れんで、私たちの罪をことごとく」。そう、「ことごとく」です。一部ではない。ちょっとだけ、目に付くところだけ、ではありません。ことごとくです。私たち自身が知らないところまでも、私が気付くことのできていない、あるいは見たくなくてごまかしている、ドロドロしたものも、どうしようもないものも、あるいはもっと醜悪で、悪の力に呑み込まれ、悪魔の奴隷としてしか生きられていない深みをも。それが「ことごとく」です。
「主は私たちを再び憐れみ、私たちの罪をことごとく、海の深みに投げ込まれる。」そのことごとくの罪を、主はすべて海の深みに投げ込んでくださいます。もう浮かび上がってこない。完全に沈めてしまう。神様がかたを付けてくださる。そう、これは神がなさることです。神ご自身の御業です。私たちが自分で処理しなければならないのではない。私たちが自分で努力して罪や悪魔と決別しなければならないのではない。表面的に、良さそうになることならできるかもしれません。うわべだけ取り繕うことなら私たちにもなんとかできるかもしれない。しかしことごとく、すべての罪を海の深みに沈めてしまうことは、神様にしかできない。神が私たちを清めてくださいます。
ですから、私たちがすることは、神の光の中で自分の罪を認め、告白することです。「私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、あらゆる不正から清めてくださいます。」神の愛に信頼する。神が私たちをご自分のものとしてくださるからです。

2025年8月30日の聖句

主よ、あなたは私を回復させ、生かし続けてくださいました。(イザヤ38:16) 時に、プブリウスの父親が熱病と下痢で床に就いていたので、パウロはその人のところに行って祈り、手を置いて癒やした。(使徒28:8) 熱病や下痢を初めとして、あらゆる病に苦しむ仲間のために私たちは祈ります。...