2020年6月15日月曜日

2020年6月15日(使徒言行録10:1〜23)

使徒言行録10:1~23
カイサリアにいたコルネリウスという人は、とても敬虔な人でした。一家そろって神を畏れ、民に多くの施しをし、絶えず神に祈っていました。彼はイタリア大隊と呼ばれる部隊の百人隊長でした。つまり、彼は異邦人でした。ユダヤ人ではなかった。この人のところへ、神はペトロを遣わそうとお考えになっていた。そのために、ペトロに不思議な幻を見せます。
昼、彼が祈っていたときのことです。「彼は空腹を覚え、何か食べたいと思った。人々が食事の準備をしているうちに、ペトロは我を忘れたようになり、天が開き、大きな布のような入れ物が、四隅でつるされて、地上に降りてくるのを見た。その中には、あらゆる四つ足の獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。そして、『ペトロ、身を起こし、屠って食べなさい』と言う声がした。しかし、ペトロは言った。『主よ、とんでもないことです。清くない物、汚れた物など食べたことはありません。』すると、また声が聞こえてきた。『神が清めた物を、清くないなどと言ってはならない。』」
旧約聖書、特にレビ記を読むと、食べても良い動物と食べてはならない動物について、細かく決められています。レビ記第11章が代表的な箇所です。動物は、反芻してひづめが割れていなければなりません。水の中に住むものは、うろこやひれがなければなりません。鳥は、猛禽は食べてはなりません。虫は、跳躍に適した後ろ足を持つもののみ食べて良いとされています。それ以外のものは、すべて食べてはならない。いわゆる宗教的タブーに属しています。現代でも、ユダヤ教徒やイスラム教徒は、そういうようなタブーを厳格に守っていて、化学調味料の成分として含まれるということさえも避けます。ですから、ペトロにとっては本当に驚くべき言葉であったと思います。食べてはならない生き物を、彼は生まれてこの方一度も口にしたことがなかったのですから。
神さまは、神が清めたものを清くないなどと言ってはならないと言います。明らかに、食べ物の話をしているのではありません。これからペトロが出会うコルネリウスの話です。異邦人であろうとユダヤ人であろうと、神が清めたものを清くないなどと言ってはならない、と主は言われます。ユダヤ人は、異邦人とは付き合わなかったからです。しかし、福音は、これまで汚れていると考えられていた異邦人にも届けられることになりました。神さまがそれを望まれたのです。主は、すべての人が福音を聞くことを願っておられるのです。

2024年3月28日の聖句

正義は国を高める。罪は民の恥となる。(箴言14:34) イエスはそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。目的の場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。(ルカ22:39~40) 主イエス・キリストは、この夜も「いつ...