2020年6月5日金曜日

2020年6月5日(使徒言行録4:1〜22)

使徒言行録4:1~22
「皆さんもイスラエルの民全体も知っていただきたい。この人が良くなって、あなたがたの前に立っているのは、あなたがたが十字架につけ、神が死者の中から復活させられたナザレの人イエス・キリストの名によるものです。この方こそ、『あなたがた家を建てる者に捨てられ、隅の親石となった石』です。この人による以外に救いはありません。私たちが救われるべき名は、天下にこの名のほか、人間には与えられていないのです。」
主イエス・キリスト、それは、私たちがこの方によって救われるべき名です。私たちはキリストのお名前によって救われる。ペトロはそのように宣言します。
冒頭の言葉で、「この人が良くなって」と書いてあるのは、昨日読んだ足の萎えた人のことです。彼の足が良くなったことから騒動になり、集まった人々にペトロがキリストの話をしました。すると、それを聞きつけた祭司たち、神殿の主管、サドカイ派の人々が近づいてきて、ペトロらの話を聞いて彼らを捕らえ、翌日まで留置したのでした。主イエスを十字架にかけるのを先導した人々が、ついに使徒たちへの迫害を始めたのです。それは、彼らが主イエス・キリストの名による救いを告げたからです。
教会がキリストの御名による救いを宣べ伝えると、必ず迫害されます。教会が生き生きと伝道した時代は、教会が体制側であった時代よりも、むしろ迫害されていた時代であったと思います。私などは気が小さいですし、すぐに人の顔色を窺ってしまう臆病者なので、こういう聖書の御言葉を読むと怖くなってしまいます。しかし、キリストご自身が迫害されて十字架にかけられたことを思うと、それを福音(良い知らせ)として語る以上、それは避けられないのだろうとも思います。
いや、ペトロやヨハネは、避けられないから、仕方がないからと言って、いやいや主イエスの話をしていたわけではありませんでした。「神に聞き従うより、あなたがたに聞き従うほうが、神の前に正しいかどうか、ご判断ください。私たちは、見たことや聞いたことを話さないではいられないのです。」話さないでいられないというのは、それだけキリストの御名による福音が素晴らしいからに違いありません。この宝を隣人に届けないわけにはいかないからでしょう。キリストの御名による救いの素晴らしさが、ペトロとヨハネと私たちの原動力です。
だからこそ、主イエス・キリストの御名が、今日もほめたたえられますように。

2024年4月24日の聖句

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