2020年7月8日水曜日

2020年7月8日(使徒言行録25)

使徒言行録25
この章でもパウロに対する尋問と、パウロの弁論というやりとりが続いています。フェリクスの後任の総督のルキウス・フェストゥスの前で、エルサレムから来たユダヤ人たちは「思い罪状をあれこれ言い立てたが、それを立証することはできなかった」。それで、パウロは「私は、ユダヤ人の律法に対しても、神殿に対しても、皇帝に対しても、何の罪も犯したことはありません」と弁明します。
フェストゥスはユダヤ人たちに気に入られようとして、パウロをエルサレムで裁判にかけようと考えます。しかし、パウロは答えました。「私は、皇帝の法廷に出頭しているのですから、ここで裁判を受けるのが当然です。閣下もよくご存じのように、私はユダヤ人に対しても何も悪いことをしていません。もし、悪いことをし、何か死刑に当たることをしたのであれば、死を免れようとは思いません。しかし、この人たちのうったえが事実無根なら、誰も私を彼らに引き渡すことはできません。私は皇帝に上訴します。」
今回のフェストゥスも、あるいはこれまで登場してきた大隊長やフェリクスも、皆、パウロを訴えるユダヤ人の言い分が自分たちの宗教的な関心であって、ローマ帝国の法に触れるものではないことが分かっていました。フェストゥスはそれでもエルサレムで裁判を行ってしまうことでユダヤ人の手にパウロを引き渡してしまおうとしましたが、パウロは、ローマ帝国の裁判にかけられていることを逆手にとって皇帝に上訴し、ローマに向かうことを望みます。
フェストゥスがユダヤのアグリッパ王にパウロについて訴えた言葉を聞くと、彼の戸惑いがよく分かります。「(ユダヤ人たちが)パウロと言い争っている点は、彼ら自身の宗教に関することと、死んでしまったイエスとかいう者のことです。このイエスが生きていると、パウロは主張しているのです。私は、これらの議論の取り扱いに困ったので、『エルサレムに行き、そこでこれらの件について裁判を受けたくはないか』と言いました。しかしパウロは、皇帝陛下の判決を受けるときまで、ここにとどめておいてほしいと願い出ましたので、皇帝のもとに送り届けるまで、彼をとどめておくように命令しました。」フェストゥスにも、パウロをどう扱ったものなのかよく分からなかったのでしょう。結局フェストゥスはパウロを有罪とするに足る証拠をえることも、彼自身そういう判決を下すべき理由も見つからず、パウロをそのままアグリッパ王のところへ送ることとしました。
自分たちのタブーに触れた者を決して許そうとしない者たち。自分の立場を守るために困り果ててしまう権力者たち。ただパウロだけがキリストへの信仰を確かに、他に何にも寄りかからずに立っています。

2024年4月26日の聖句

神を畏れ、その戒めを守れ。これこそ人間のすべてである。(コヘレト12:13) (イエスの言葉)「第一の戒めは、これである。『聞け、イスラエルよ。私たちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、魂を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の戒めは...