2020年9月12日土曜日

2020年9月12日(コロサイの信徒への手紙2)

コロサイの信徒への手紙2
「神は、そのようなあなたがたをキリストと共に生かし、私たちのすべての過ちを赦してくださいました。数々の規則によって私たちを訴えて不利に陥れていた借用書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださったのです。こうして、神はもろもろの支配と権威の武装を解除し、キリストにあって彼らを勝利の行進に従えて、公然とさらしものになさいました。」
古代の世界では、戦争に勝った国は相手国の国王や大臣などを捕虜として捕まえ、自国への凱旋行進に従えてさらし者にしたのだそうです。戦争に敗れるとそれまでの秩序は崩壊し、すべて新しい支配者の言うがままにならざるを得ません。主権はもはや以前の支配者にはなくなり、新しい支配者に移ってしまう。
それとちょうど同じことが、私たちとキリストとの間に起こったのだ、とパウロは言います。「神はもろもろの支配と権威の武装を解除し、キリストにあって彼らを勝利の行進に従えて、公然とさらしものになさいました。」この「勝利の行進」という言葉に、聖書協会共同訳は訳注をつけて「凱旋式に引き連れて」としています。キリストという新しい国王の支配下に入った私たちはキリストの凱旋式に引き連れられて、新しい支配者の手の中にいます。
この新しい支配者、王は、いかなる王なのか。それを知るためには、かつての私たちの支配者の正体を知る必要がある。かつての私たちの支配者は「数々の規則によって私たちを訴えて不利に陥れていた借用書を」もって私たちを支配します。数々の規則というのは、旧約の律法のことでしょう。ローマの信徒への手紙を読むと、このようにあります。「律法は罪なのか。決してそうではない。だが、律法によらなければ、私は罪を知らなかったでしょう。律法が『貪るな』と言わなかったら、私は貪りを知らなかったでしょう。しかし、罪は戒めによって機会を捉え、私の内にあらゆる貪りを起こしました。律法がなければ罪は死んでいたのです。」律法によって機会を捉えた罪が、私たちを支配していた。私たちはかつては罪の奴隷だった。しかし、その支配をキリストが打ち負かした。それが、コロサイの信徒への手紙の現実認識です。
私たちを不利に陥れていた証文、罪状書きは、キリストと一緒に十字架につけられました。もうそれは破棄されてしまった。キリストが私たちを輝かしい勝利の下に勝ち取ったからです。私たちは罪に支配された罪の国の国民ではなく、キリストが支配する天の国の国民です。今や、キリストの勝利の凱旋行進に連なっているからです。

2024年3月28日の聖句

正義は国を高める。罪は民の恥となる。(箴言14:34) イエスはそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。目的の場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。(ルカ22:39~40) 主イエス・キリストは、この夜も「いつ...