2020年9月13日日曜日

2020年9月13日(コロサイの信徒への手紙3)

コロサイの信徒への手紙3
「さらに、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛はすべてを完全に結ぶ帯です。また、キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい。この平和のために、あなたがたは招かれて一つの体とされたのです。また、感謝する人になりなさい。キリストの言葉が、あなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして教え合い、諭し合い、詩と賛歌と霊の歌により、感謝して神に向かって心から歌いなさい。」
第3章はこの言葉から始まっています。「あなたがたはキリストと共に復活させられたのですから、上にあるものを求めなさいそこでは、キリストが神の右の座についておられます。」キリストが神の右にある上のものを求めて生きる。それは、消極的な言い方をすれば「淫らな行い、汚れた行い、情欲、悪い欲望、および貪欲」を殺すということだと言います。そのようなことに心を注いで生きるのではなく、上にあるものを求めて生きる。それが積極的な言葉で表せば愛であり、キリストの平和であり、感謝なのだ、ということではないでしょうか。
自分を満足させて生きるのか、神様に喜んで頂くために生きるのか。ただ、そうは言っても、自分の肉欲が絶対的に正しいとはいわずとも、肉欲を殺すとなると大変なことです。上にあるものを求めて生きるよりも、下にあるもので満足して生きることに傾きがちです。そうなると、愛やキリストの平和、感謝と言ったことが、現実とは違う美辞麗句に堕してしまう・・・。
私たちの口は汚れている。それは紛れもない事実です。しかし、その口に、神様は賛美を授けてくださいました。私たちは神様を求めるよりも、自分の欲望を優先させてしまう。しかし、神様は、そんな私たちが神に礼拝を献げることを許してくださいました。だから、この言葉が私たちを解放する自由への道標です。「キリストの言葉が、あなたがたの内に豊かに宿るようにしなさい。知恵を尽くして教え合い、諭し合い、詩と賛歌と霊の歌により、感謝して神に向かって心から歌いなさい。」
これこそ、礼拝で起こっている現実ではないでしょうか。キリストの言葉を語り合い、分かち合い、神に感謝の祈りを捧げ、神を賛美する。詩と賛歌と霊的な歌と言います。それぞれどういうものを指しているのでしょうか。パウロの時代のいろいろな賛美歌のジャンルでしょうか。何にしても、ここに私たちが今日ささげる賛美歌を加えることは許されるでしょう。私たちはキリストに礼拝を献げるとき、紛れもなく上なるお方を求め、心を高く上げて、神に向かって生きているのです。その恵みの時へ、私たちは今招かれています。

2024年3月28日の聖句

正義は国を高める。罪は民の恥となる。(箴言14:34) イエスはそこを出て、いつものようにオリーブ山に行かれると、弟子たちも従った。目的の場所に来ると、イエスは弟子たちに、「誘惑に陥らないように祈りなさい」と言われた。(ルカ22:39~40) 主イエス・キリストは、この夜も「いつ...