2020年10月17日土曜日

2020年10月17日(ペトロの手紙二3)

ペトロの手紙二3
「神の日が来るのを待ち望み、それが来るのを早めなさい。」

神の日、つまり主イエスが再び地上に来て救いを完成する日、すべてのものを裁く日。その日を待ち望み、またその日がくるのを早めなさい、とペトロは私たちに告げています。待ちつつ、早めつつ。それが、キリスト者の生き方だと言います。
主イエスが再び来られると聞いて、私たちはどれほどそれを実際的な感覚として覚えて、またその日を願っているでしょうか。聖書にはイエスさまが来ると言ったと書いてあるらしいけど、実際に来るというわけではないのだろうな・・・というような感覚が、私たちにはもしかしたらあるかもしれません。何しろ、主イエスが天に昇ってから、もう2000年も経ったのです。
ペトロは言います。「主のもとでは、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。ある人たちは遅いと思っていますが、主は約束を遅らせているのではありません。一人も滅びないで、すべての人が悔い改めるように望み、あなたがたのために忍耐しておられるのです。しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。」
私たちは、いつまで経っても主の日なんて来ない、そんな日は永遠に来ないのではないか、と思うかもしれない。しかし、本当に忍耐して待っているのは、主なる神様です。私たちが一人も滅びることなく救われるように、裁きを待っていてくださっている。ペトロはそう言います。
そうであるならば、私たちが生きている一日一日は、神様の愛と忍耐が生み出した一日です。従って、私たちが主の再び来てくださる主の日を待ちつつ、そしてそれを早めるとは、主イエス・キリストによって現された神の愛を私たちが証しすることではないでしょうか。
ペトロは、他の誰よりも深くキリストの愛を知った人物であると思います。それは、彼がどんなに罪深く、イエスを捨ててしまう者であっても、なおキリストがペトロを愛し、忍耐して待ち続けてくださったからです。これは、私たちのためのキリストの愛でもあります。私たちの隣人のためのキリストの愛でもあります。イエス・キリストに、栄光が今もまた永遠にありますように。アーメン。

2024年4月27日の聖句

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