2020年10月9日金曜日

2020年10月9日(ヤコブの手紙5)

ヤコブの手紙5
「あなたがたの中に苦しんでいる人があれば、祈りなさい。喜んでいる人があれば、賛美の歌を歌いなさい。あなたがたの中に病気の人があれば、教会の長老たちを招き、主の名によってオリーブ油を塗り、祈ってもらいなさい。信仰による祈りは、弱っている人を救い、主はその人を起き上がらせてくださいます。その人が罪を犯しているのであれば、主は赦してくださいます。それゆえ、癒やされるように、互いに罪を告白し、互いのために祈りなさい。正しい人の執りなしは、大いに力があり、効果があります。」

ヤコブはこの章の前半では、忍耐の話をしています。「主が来られるときまで忍耐しなさい。農夫は、秋の雨と春の雨が降るまで忍耐しながら、大地の尊い実りを待ちます。」私たちは忍耐する。主イエス・キリストが来てくださるのを、忍耐して待っています。「主は憐れみに満ち、慈しみ深い方」だから、このお方が来て私たちを救ってくださるのを待ち望んでいます。
忍耐の生活には苦しみが伴います。その苦しみの日には祈りなさいとヤコブは勧めます。祈ること、祈り続けることこそが忍耐することだから。そして私たちの歩みは苦しいときばかりではなく、喜びの日もあります。そういう日はしかめっ面をしないで素直に喜び、何よりも神を賛美しようと勧めています。
もしも病気になったら、教会の人に頼んできてもらい、祈ってもらうが良いと言います。オリーブ油を塗って、と言っています。私たちの教会には、文字通りにオリーブ油を塗るという習慣はありません。当時の社会習慣や医学的な知見が反映しているのでしょう。しかし同時に、ここでのオリーブ油は明らかに祈りの象徴です。しかも、執りなしの祈りのしるしです。その精神においては私たちも何ら変わるところはない。病気のときには独りぼっちでいるのではなく、教会の人を招いて祈りを求める。それが、私たちの忍耐の秘訣です。
今はなかなか自由に病院に行ったり、お見舞いに行ったりすることができない状況が続いています。教会にとっては厳しい状況です。だからこそ、教会を挙げて、それぞれが心を一つにして執りなしの祈りに生きていきたいと願います。教会は執りなしの祈り共同体です。苦しむ隣人のために、私たちは祈る。祈りにおいて、教会は一つです。

2024年12月27日の聖句

遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...