詩編10
主よ、なぜあなたは遠く立ち
苦難の時に身を隠されるのですか。
悪しき者は高ぶり
苦しむ人を追い回している。
彼らが、自らの謀に陥りますように。
悪しき者は自らの野望を誇り
貪欲な者は主をたたえながらも侮っている。(1-3)
その道は常に栄え
あなたの裁きは彼らからは遠く離れてある。(5a)
主こそ王、代々とこしえに。(16)
悪しき者、神を侮る貪欲な者。彼らはこの世の中で成功し、栄え、とても幸せそうにしている。9節を見ると、この悪しき人は苦しむ人を苦しめている張本人である。そして、恐らく「苦しむ人」というのはこの詩編作者自身なのであろう。つまり、被害者なのだ。あの人は調子に乗って自分の成功を喜んでいるが、その陰で私は苦しめられている。多くの人はこの人の味方であって、自分がこのように苦しめられていることになんて誰も気に掛けようとしない。この人は神をたたえながらも実は侮っており、不遜にも「神は忘れているのだ。顔を隠し、永遠に見るまい」と嘯いている。この詩編は、恐らくそういう状況での祈りなのだと思います。
私はこの詩編を読んで、同じようなときに自分はどうしてきたのだろうかと考えないわけにはいきませんでした。そして、私がこのような状況で感じてきたことは、私の目には明らかです。私は妬み、憎み、祈ろうとはしてきませんでした。妬むというのは、裏を返せば、自分も同じような成功を手に入れたいということになります。そうすると、結局は「この人は神を侮っている」と言いながら、自分も同じように神を侮り、人間的な成功しか求めていなかったと言うことになってしまいます。
ところが、この詩編作者はそうではありませんでした。「主よ、なぜあなたは遠く立ち、苦難の時に身を隠されるのですか」と、この人は祈ります。神を求めています。「主こそ王、代々とこしえに」と告白しました。この世の成功というご褒美を求めて神を信じているのではなく、主が王でいらっしゃるから、神に従っているのです。神が永遠なる方だから、礼拝しているのです。必ず、神は「みなしごと虐げられている人のために裁き」をしてくださる。そのことを信じ、今報いを受けなくても神を崇めています。それが、信じるということなのです。
主よ、なぜあなたは遠く立ち
苦難の時に身を隠されるのですか。
悪しき者は高ぶり
苦しむ人を追い回している。
彼らが、自らの謀に陥りますように。
悪しき者は自らの野望を誇り
貪欲な者は主をたたえながらも侮っている。(1-3)
その道は常に栄え
あなたの裁きは彼らからは遠く離れてある。(5a)
主こそ王、代々とこしえに。(16)
悪しき者、神を侮る貪欲な者。彼らはこの世の中で成功し、栄え、とても幸せそうにしている。9節を見ると、この悪しき人は苦しむ人を苦しめている張本人である。そして、恐らく「苦しむ人」というのはこの詩編作者自身なのであろう。つまり、被害者なのだ。あの人は調子に乗って自分の成功を喜んでいるが、その陰で私は苦しめられている。多くの人はこの人の味方であって、自分がこのように苦しめられていることになんて誰も気に掛けようとしない。この人は神をたたえながらも実は侮っており、不遜にも「神は忘れているのだ。顔を隠し、永遠に見るまい」と嘯いている。この詩編は、恐らくそういう状況での祈りなのだと思います。
私はこの詩編を読んで、同じようなときに自分はどうしてきたのだろうかと考えないわけにはいきませんでした。そして、私がこのような状況で感じてきたことは、私の目には明らかです。私は妬み、憎み、祈ろうとはしてきませんでした。妬むというのは、裏を返せば、自分も同じような成功を手に入れたいということになります。そうすると、結局は「この人は神を侮っている」と言いながら、自分も同じように神を侮り、人間的な成功しか求めていなかったと言うことになってしまいます。
ところが、この詩編作者はそうではありませんでした。「主よ、なぜあなたは遠く立ち、苦難の時に身を隠されるのですか」と、この人は祈ります。神を求めています。「主こそ王、代々とこしえに」と告白しました。この世の成功というご褒美を求めて神を信じているのではなく、主が王でいらっしゃるから、神に従っているのです。神が永遠なる方だから、礼拝しているのです。必ず、神は「みなしごと虐げられている人のために裁き」をしてくださる。そのことを信じ、今報いを受けなくても神を崇めています。それが、信じるということなのです。