2022年3月26日土曜日

2022年3月26日の聖句

主は、あなたの前に御使いを遣わされる。(創世記24:7)
天使がペトロに言った。「帯を締め、履物を履きなさい。」ペトロはそのとおりにした。また天使は彼に言った。「上着を着て、付いてきなさい。」それで、ペトロは外に出て付いていったが、天使のしていることが現実のことだとは分からず、幻を見ているように思えた。(使徒12:8~9)

主が私たちに御使いを遣わされる、と聖書は言います。ペトロのところに来た様子が報告されています。このとき、ペトロは牢の中にいました。四人もの見張りが牢獄を監視していました。ペトロは二本の鎖でつながれていました。夜中、主の天使がペトロのところに来て、光が牢を照らします。天使はペトロの脇腹をつついて起こし、言いました。「急いで起き上がりなさい。」そして、続けて言うのです。「『帯を締め、履物を履きなさい。』ペトロはそのとおりにした。また天使は彼に言った。『上着を着て、付いてきなさい。』それで、ペトロは外に出て付いていったが、天使のしていることが現実のことだとは分からず、幻を見ているように思えた。」
ちょうどのこのとき、教会の仲間たちが集まってペトロのために祈っていました。牢から解き放たれたペトロが仲間たちのところに帰って来ても、まさか牢から出て来るとは思わずに皆信じることができなかった。ペトロも幻を見ているように思ったとありますが、仲間たちはなおさらのことです。想像もできなかったほどのすばらしいことを、神さまが天使を遣わしてしてくださったのです。
これは、私たち自身の物語です。私たちも主イエスさまの復活の証人として生きることを妨げられ、縛られているけれど、私たちの想像も付かない神さまの御業によって自由にされ、ペトロのように証人として生きることができるのです。私たちの教会でも、例えばEさんは高齢の病床で洗礼を受けることで、後に夫も洗礼を受けるように導かれていきました。年齢も病も、キリストの証人であることを妨げることはできません。ペトロ本人やペトロのために祈っている仲間たちの思いを超えて、神様ご自身が働いてくださった。同じ御業にEさんも与りました。そうやって私たちが証人として用いられるという例は、枚挙にいとまがありません。私たちの前にも、今、天使が立っています。「帯を締め、履物を履きなさい」と言って、私たちをキリストの証人として立たせようとしているのです。

2024年4月16日の聖句

私の神である主は、私の闇を光となしてくださる。(詩編18:29) これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、高い所から曙の光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、我らの足を平和の道に導く。(ルカ1:78~79) 主なる神さまの憐れみの心によって。これが...