私は彼らに、私が主であることを知る心を与える。(エレミヤ24:7)
(パウロの手紙)私たちのためにも祈ってください。神が御言葉のために門を開いてくださり、私たちがキリストの秘儀を語ることができますように。(コロサイ4:3)
今日の新約聖書の御言葉は使徒パウロの書いた手紙です。コロサイの教会に宛てたこの手紙は、パウロの書いた手紙の中でも、フィリピの信徒への手紙と同じく「獄中書簡」と呼ばれるものの一つです。パウロが牢獄で囚われの身になっているときにこれを書いた。そのことを踏まえて、今日の箇所をもう少し後まで合わせて読んでみると、非常に示唆的です。
「私たちのためにも祈ってください。神が御言葉のために門を開いてくださり、私たちがキリストの秘儀を語ることができますように。私は、このために牢につながれているのです。また、私が語るべきしかたで語って、この秘儀を明らかにすることができるように祈ってください。」
「私は、このために牢につながれている」というのは、今自分が牢にいるのは福音を宣べ伝えたためだということでしょう。その上でパウロが祈って欲しいというのは「神が御言葉のために門を開いてくださり、私たちがキリストの秘儀を語ることができますように」ということです。「私が語るべきしかたで語って、この秘儀を明らかにすることができるように祈ってください」と訴えています。パウロが求める祈りは、自分の困窮が解決されるようにということではなくて、キリストの秘儀である福音の言葉を明らかに語ることができますように、神がそのために門を開いてくださいますように、ということです。自分の困難が解決することどころか、その困難(投獄)の原因になった福音伝道をますますしっかりすることができるように祈ってください、とパウロは願ったのです。
私としては、本当に考えさせられる言葉です。私の願いはどういうものか?私の祈りはどういうものか?私は、何を祈って欲しいと願っているだろうか?
キリストの秘儀が明らかにされるように。御言葉の門が開かれますように。私たちの教会も、そのように祈りましょう。牧師も、信徒も、それぞれのあり方でキリストの秘儀を明らかにする共同体として歩めますように。このことを私たちの祈りとしたい。今日、そのように思わされています。
(パウロの手紙)私たちのためにも祈ってください。神が御言葉のために門を開いてくださり、私たちがキリストの秘儀を語ることができますように。(コロサイ4:3)
今日の新約聖書の御言葉は使徒パウロの書いた手紙です。コロサイの教会に宛てたこの手紙は、パウロの書いた手紙の中でも、フィリピの信徒への手紙と同じく「獄中書簡」と呼ばれるものの一つです。パウロが牢獄で囚われの身になっているときにこれを書いた。そのことを踏まえて、今日の箇所をもう少し後まで合わせて読んでみると、非常に示唆的です。
「私たちのためにも祈ってください。神が御言葉のために門を開いてくださり、私たちがキリストの秘儀を語ることができますように。私は、このために牢につながれているのです。また、私が語るべきしかたで語って、この秘儀を明らかにすることができるように祈ってください。」
「私は、このために牢につながれている」というのは、今自分が牢にいるのは福音を宣べ伝えたためだということでしょう。その上でパウロが祈って欲しいというのは「神が御言葉のために門を開いてくださり、私たちがキリストの秘儀を語ることができますように」ということです。「私が語るべきしかたで語って、この秘儀を明らかにすることができるように祈ってください」と訴えています。パウロが求める祈りは、自分の困窮が解決されるようにということではなくて、キリストの秘儀である福音の言葉を明らかに語ることができますように、神がそのために門を開いてくださいますように、ということです。自分の困難が解決することどころか、その困難(投獄)の原因になった福音伝道をますますしっかりすることができるように祈ってください、とパウロは願ったのです。
私としては、本当に考えさせられる言葉です。私の願いはどういうものか?私の祈りはどういうものか?私は、何を祈って欲しいと願っているだろうか?
キリストの秘儀が明らかにされるように。御言葉の門が開かれますように。私たちの教会も、そのように祈りましょう。牧師も、信徒も、それぞれのあり方でキリストの秘儀を明らかにする共同体として歩めますように。このことを私たちの祈りとしたい。今日、そのように思わされています。