2023年12月19日火曜日

2023年12月19日の聖句

主の目は正しき人に注がれ、その耳は彼らの叫びを聞く。(詩編34:16)
希望をもって喜び、苦難に耐え、たゆまず祈りなさい。(ローマ12:12)

苦難に耐えることができるのは、何らかの見通しをもつことができるからだと思います。今は辛いけれど、この先どうにかなる。今は悲しけれど、そんな自分に寄り添ってくれる人もいる。この苦しいことにも何かの意味がある。そのような何らかの見通しを抱くことができると、希望が湧いてきます。
しかし、見通しの立たない苦難は本当に辛い。八方塞がりとか閉塞感とか四面楚歌とか、その種の言葉で表すしかないようなときは、本当に厳しく辛いことです。
聖書は「希望をもって喜び、苦難に耐え、たゆまず祈りなさい」と言います。一体どうしたら希望をもって喜ぶことができ、苦難に耐えることができ、たゆまず祈れるのか。一体どうしたらそのように生きることができるのか。
私たちキリスト者にとって、その根拠は究極的には一つしかないと思います。「主の目は正しき人に注がれ、その耳は彼らの叫びを聞く。」主が目を注いでくださっていること、主が耳を傾けて聞いてくださっていること。その事実への信頼。ただそれだけが私たちに希望と喜びを与え、忍耐を与え、祈る言葉を与えるのではないでしょうか。
主なる神さまが私たちに目を注いでくださっていること、耳を傾けてわたしの祈りをも聞いてくださっていること、その証拠は、ただ主イエス・キリストにあります。神さまのお子様が私たちのところにまで降ってきてくださった。そのクリスマスの出来事こそ、主の目が、主の耳が私たちに向けられている証しです。
だから、私たちは苦難の日にも希望をもって喜びうる。忍耐することができるし、祈れる。見通しがあるからです。主の目が、主の耳が私に向けられているということを、信仰をもって見通すことが許されています。その事実への信頼が私たちに望みの道を拓くのです。

2025年1月15日の聖句

姦淫してはならない。(出エジプト記20:14) 夫は妻を蔑ろにしてはならない。妻も夫を蔑ろにしてはならない。(1コリント7:3) 姦淫というと、浮気や不倫という言葉とすぐに結びついて考えられます。しかし単にそれだけではなく、聖書はもっと積極的にこのことを考えているように思います。...