2024年2月24日土曜日

2024年2月24日の聖句

私はあなたがたに以前にもまさる幸いをもたらす。こうしてあなたがたは私が主であることを知るようになる。(エゼキエル36:11)
(パウロの手紙)あなたがたのところに行くときは、キリストの祝福に満ちあふれて行くことになると分かっています。(ローマ15:29)

ありがたい言葉です。「私はあなたがたに以前にもまさる幸いをもたらす。こうしてあなたがたは私が主であることを知るようになる。」神が私たちに幸いをもたらしてくださる。それによって、私たちはこの方こそまことの神だとよく分かるはずだ、と言ってくださいます。
普通、分からせてやろうとか知らせてやろうとか、そういう台詞が出て来るとしたら事態は逆だと思います。目に物を見せてやる、よく分からせてやる。そんな言葉が出て来るとしたら、相手がすごく嫌がることをして自分の優位を示してやろうという意味でしょう。別にそれは映画かお芝居だけの話ではない。親が子に、そのような思いを抱いてしまうこともあるかも知れません。上司が部下に、客が店に、発注元が受注側に・・・。どのような人間関係でも、起こりうることだと思います。
ところが神さまは違います。私たちが考えるようなセコいことはお考えにはならない。恵みの業を行い、私たちに幸いを与えることによって、御自分の神であることを知らせるとおっしゃいます。その幸いこそ、キリストを私たちのために下さったということに他ならないのです。神から私たちへの最大の贈り物、主イエス・キリスト、神の独り子でいらっしゃる方を下さったことによって、私たちはこの方こそ神でいらっしゃると知ったのです。
だから、パウロはその祝福を届けるために、たくさんの人と出会いました。神が下さった一方的な恵みの贈り物を一人でも多くの人に届けるために。私たちも、その恵みの贈り物をいただいて、今日を迎えたのです。

2024年12月21日の聖句

私の魂は生ける神に向かって、身も心も喜び歌います。(詩編84:3) (マリアへのエリサベトの言葉)私の主のお母様が、私のところに来てくださるとは、何ということでしょう。あなたの挨拶のお声を私が耳にしたとき、胎内の子が喜び踊りました。(ルカ1:43~44) エリサベトは既に老齢でし...