2025年4月7日月曜日

2025年4月7日の聖句

主は虐げられているすべての者のために、正義と公正を行う。(詩編103:6)
だから、なすべき善を知りながら行わないなら、それはその人の罪です。(ヤコブ4:17)

主が、正義と公正を行われる。虐げられているすべての人のために。ここに、私たちのなすべき善がある。聖書はそのように言います。
聖書が「正義」と言うとき、それは、一般的に言って良いこと、という意味ではありません。聖書の言う「正義」は、神が私たちの生きることを望んでくださる慈しみの御心です。私たちの命を望んでくださる神の愛です。それは、わたし個人への御心ではない。もちろん「わたし」もその中に含まれますが、それだけではなく、もっともっと広い、多くの人への御心です。すべての人が生きることを、神は望んでいてくださいます。ここに神の「正義」がある。
そうであるからこそ、「なすべき善」が私たちにもある、と聖書は訴えかけているのです。神の慈しみの御心を知る者として、神の愛に生かされている者として、私たちにはなすべき善がある。神の本当に広く素晴らしい御心に、私たちも生きるように神に招かれています。
虐げられている人が虐げられるままにされることを、主は決してお望みにはなりません。私たちは虐げられている人をテレビの向こう側で見ながら、呑気に、「神様はどうしてこんなことを許しているのか」と文句を言いがちです。神が望んでおられるのは、その人のために私がどう生きるか、というところでの変革ではないでしょうか。神の正義の御心に従ってなすべき善に生きることを、神は私たちに願っておられます。

2025年10月18日の聖句

憐れみと赦しは私たちの神、主にあります。(ダニエル9:9) イエス・キリストにおいて、その血による贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。これは、神の豊かな恵みによるものです。(エフェソ1:7) 私たちはイエス・キリストにおいて、その血によって贖われました。つまり、買い戻されまし...