2025年4月9日水曜日

2025年4月9日の聖句

主を仰ぎ見る人は、辱めに顔を伏せることはない。(詩編34:6)
私があなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模本を示したのだ。(ヨハネ13:15)

主イエスはおっしゃいます。「私があなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模本を示したのだ。」主イエスがしたとおりとは、一体何を意味しているのでしょうか。ヨハネによる福音書第13章は、主イエスと弟子たちとが十字架の前の夜に一緒に食卓に着いたときのことを伝えています。主イエスは最初にたらいに水を汲んで来て、弟子たちの足を洗ってくださいました。足を洗うのは、奴隷の仕事です。当時はサンダルのようなもので歩いていましたから、足がすごくよごれます。その足をきれいに洗う。相手の足元にかがみ込んでする仕事です。主イエスは弟子たちの奴隷になって仕えてくださった。彼らの足を洗い終えて、主がおっしゃったのです。「私があなたがたにしたとおりに、あなたがたもするようにと、模本を示したのだ。」
主は私たちがお互いの奴隷になって仕えることを望んでおられます。奴隷というのは、大変なことです。奴隷は相手の意のままに従います。時には屈辱的な目に遭うこともあるでしょう。人が嫌がる仕事をしますし、それを断ることもできない。
今日の旧約にはこのようにありました。「主を仰ぎ見る人は、辱めに顔を伏せることはない。」私たちが奴隷仕事の辱めに顔を伏せないで済むのは、その場所でキリストを仰ぎ見るからです。私たちに先立って私たちの奴隷になってくださった主イエスさまを仰ぎ見るからです。これはキリストの道だと私たちは知らされる。そこで、私たちは解放されます。
今日の御言葉は私の心には痛いです。主イエスのお言葉やしてくださったこととはかけ離れています。ところが主イエスはそんな私の足をも洗ってくださるお方。その事実の前に、畏れをもって生きていきたいと願います。

2025年11月3日の聖句

見よ、今も天に私の証人がいる。私のために証言してくれる方が高い所にいる。(ヨブ16:19) 私たちには、もろもろの天を通って来られた偉大な大祭司、神の子イエスがおられるのですから、信仰の告白をしっかり保とうではありませんか。(ヘブライ4:14) ヘブライ人への手紙は著者は、今とな...