2025年5月19日月曜日

2025年5月19日の聖句

私たちは何を行うべきか分かりませんが、私たちの目はあなたを見つめるのみです。(歴代誌下20:12)
イエスは七十二人の弟子たちに言われた。「どんな家に入っても、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい」。(ルカ10:2,5)

主イエスが私たちを遣わしておられます。この世界に平和を告げるように、キリストが私たちを遣わしておられます。イエスは七十二人の弟子たちに言われた。「どんな家に入っても、まず、『この家に平和があるように』と言いなさい」。どんな家に入っても、どこに行っても、私たちは平和の言葉を託されている。平和をもたらすことをキリストに委ねられています。
私たちが出会う人は、誰もが私たちを歓迎してくれる人というわけではありません。厭な顔をされたり、厭な言葉を浴びせられたり、悲しい気持ちになることもあります。しかしキリストはどんな家でも、その家のための平和を宣言するようにおっしゃいました。私たちに委ねられているのは平和の言葉であって、呪いや悪い言葉ではない。争いや諍いを生む言葉ではない。
今日の旧約にはこのように書かれています。「私たちは何を行うべきか分かりませんが、私たちの目はあなたを見つめるのみです。」平和の言葉と言われても、そのようなことは現実的には無理だと私たちは簡単に考えてしまう。しかし、そんな私たちも、ただただ主イエスさまを見つめます。キリストが私に何をしてくださったのか、主が私をどのようにお取り扱いくださったのか。その事実が私たちの言葉を整え、私たちを生きるべき道を導いてくださいます。

2025年7月3日の聖句

人間の心は自分の道のことに思いを巡らすが、主がその一歩を確かなものとする。(箴言16:9) 言葉であれ行いであれ、あなたがたがすることは何でも、すべて主イエスの名によって行い、イエスによって父なる神に感謝しなさい。(コロサイ3:17) 神さまを信じる私たちにとって、自分の生き方や...