2025年5月3日土曜日

2025年5月3日の聖句

主よ、貪欲ではなく、あなたの証しに私の心を傾けさせてください。(詩編119:36)
あなた自身、良い行いの模範となりなさい。教える際には、高潔で品位を保ち、非難の余地のない健全な言葉を語りなさい。そうすれば、敵対者は、私たちについて何の悪口も言うことができず、恥じ入るでしょう。(テトス2:7~8)

「あなたの証し」。すなわち、神様の御言葉のことでしょう。聖書が語りかける御言葉、キリストの言葉、福音のことです。私たちはキリストの言葉にこそ心を傾けて生きていきたいと願っています。キリストの言葉に従い、福音の言葉に生きていきたいと願っています。ところが、それとは別のものが心を誘い、私たちの思いを奪い取っています。今日の旧約の御言葉は、その正体を「貪欲」と指摘しています。貪欲が私の心を盗み取って、私が主の証しに傾いて生きることを邪魔している。この指摘は鋭い、と思います。
貪欲は本当に恐ろしい力を持っています。私たちを呑み込んでしまう。現代社会のシステムは、私たちの貪欲をくすぐります。貪欲が社会を動かしています。消費や所有が社会の原動力になっている。消費できることが豊かさとされ、他人の所有を羨むことで社会が動いていきます。ところが、聖書にしてみれば、それは貪欲に他ならない。そして、偶像礼拝の正体は貪欲です。私たちの欲望がまるで神のような顔をしている。
今日の新約の御言葉は、健全な言葉と良い行いを求めます。キリストの言葉に従って生きることを私たちに求める。キリストは、私たちのためにすべてを捨ててくださった方です。神の子でいらっしゃる方が降ってきて、枕するところもなく生きてくださいました。私たちは誰に従うのでしょうか。自分の欲望なのか。それとも、私たちのためにすべてを手放した神の子なのか。私たちの健全さは、キリストのもとにあります。

2025年9月15日の聖句

(モーセへの主の言葉)私は彼らのために、同胞の中からあなたのよな預言者を立て、その口に私の言葉を授ける。(申命記18:18) 多くの人はそれを聞いて、驚いて言った。「この人は、大工ではないか。」(マルコ6:2,3) 神はモーセに親しく語り、民のための言葉を彼に託しました。民はモー...