今週の聖句:
見よ、あなたの王があなたに到来する。義なる方にして救う方が。(ゼカリヤ9:9b)
今日の聖句:
もはや彼らは、隣人や兄弟の間で、「主を知れ」と言って教え合うことはない。小さな者から大きな者に至るまで、彼らは皆、私を知るからであるーー主の仰せ。(エレミヤ31:34)
しかし、祭司長たちや律法学者たちは、イエスがなさった不思議な業を見、また、境内で子どもたちが叫んで、「ダビデの子にホサナ」と言うのを聞いて腹を立て、イエスに言った。「子どもたちが何と言っているか、聞こえるか。」イエスは言われた。「聞こえる。『幼子や乳飲み子の口に、あなたは賛美の歌を整えられた』とあるのを、あながたはまだ読んだことがないのか。」(マタイ21:15~16)
祭司長や律法学者たちは怒っています。この怒りはやがて主イエスを十字架につけるところにまで至ってしまう。その怒りに任せて「子どもたちが何と言っているか、聞こえるか」と主に詰問します。子どもたちが「ダビデの子にホサナ」と言って主イエスを喜んでいたからです。
しかし大人の怒りも、偉いおじさんの叱責も、子どもたちの口を閉ざしてしまうことはできませんでした。主イエスさまへの賛美はもはや押しとどめることができない。主イエス・キリストの御業と御言葉がこの世界で証しされているからです。福音が宣べ伝えられ、神の国の到来が宣言されているからです。
月に二度ほど、厚木の保育園の礼拝のお手伝いに伺っています。子どもたちが讃美歌を歌います。お祈りをします。イエス様のお話を喜んで聞いています。ここでも「幼子や乳飲み子の口に、あなたは賛美の歌を整えられた」という神さまの御業が起こっています。
私たちも、幼子の声に耳を傾けましょう。小さな子どもが賛美するイエス様のすばらしさを、乳飲み子が力の限りに求めている愛の御神を、私たちも賛美し、求め、この方に祈りましょう。
今日から待降節です。この新しい日々に祝福がありますように。
見よ、あなたの王があなたに到来する。義なる方にして救う方が。(ゼカリヤ9:9b)
今日の聖句:
もはや彼らは、隣人や兄弟の間で、「主を知れ」と言って教え合うことはない。小さな者から大きな者に至るまで、彼らは皆、私を知るからであるーー主の仰せ。(エレミヤ31:34)
しかし、祭司長たちや律法学者たちは、イエスがなさった不思議な業を見、また、境内で子どもたちが叫んで、「ダビデの子にホサナ」と言うのを聞いて腹を立て、イエスに言った。「子どもたちが何と言っているか、聞こえるか。」イエスは言われた。「聞こえる。『幼子や乳飲み子の口に、あなたは賛美の歌を整えられた』とあるのを、あながたはまだ読んだことがないのか。」(マタイ21:15~16)
祭司長や律法学者たちは怒っています。この怒りはやがて主イエスを十字架につけるところにまで至ってしまう。その怒りに任せて「子どもたちが何と言っているか、聞こえるか」と主に詰問します。子どもたちが「ダビデの子にホサナ」と言って主イエスを喜んでいたからです。
しかし大人の怒りも、偉いおじさんの叱責も、子どもたちの口を閉ざしてしまうことはできませんでした。主イエスさまへの賛美はもはや押しとどめることができない。主イエス・キリストの御業と御言葉がこの世界で証しされているからです。福音が宣べ伝えられ、神の国の到来が宣言されているからです。
月に二度ほど、厚木の保育園の礼拝のお手伝いに伺っています。子どもたちが讃美歌を歌います。お祈りをします。イエス様のお話を喜んで聞いています。ここでも「幼子や乳飲み子の口に、あなたは賛美の歌を整えられた」という神さまの御業が起こっています。
私たちも、幼子の声に耳を傾けましょう。小さな子どもが賛美するイエス様のすばらしさを、乳飲み子が力の限りに求めている愛の御神を、私たちも賛美し、求め、この方に祈りましょう。
今日から待降節です。この新しい日々に祝福がありますように。