あなたは、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。主はその名をみだりに唱える者を罰せずにはおかない。(出エジプト20:7)
天におられる私たちの父よ、御名が聖とされますように。(マタイ6:9)
十戒の第3の戒めです。
前半を直訳すると、このようになります。「唱えるな、お前の神である主の名を、空しいことのために。」このように、「みだりに」という私たちの親しんでいる翻訳は、直訳すると「空しいことのために」という意味です。
このようなことが命じられているというのは、私たちの現実として空しいことのために神さまのお名前をみだりに口にしている、ということに他ならないのだと思います。そう思ってわが身を振り返ってみると、自分の主張を正当化するために神さまのお名前や信仰を空しく語ってみたり、言い訳のために神さまを持ち出したり、キリスト者ではない家族や知り合いを心の中で裁く大義名分として神さまを持ち出してしまったり・・・ということが起きているのかも知れません。
神さまは、本当は私たちが神さまを賛美するためにご自身を示してくださいました。「天におられる私たちの父よ、御名が聖とされますように。」私たちは、これこそが私の祈りと告白する恵みに招かれています。私の願いは他の何でもなく、主の御名が崇められ、聖とされること。私たちもそうやって神さまをほめたたえる者にして頂いています。私たちの心の中にはいろいろな思いが渦巻いているし、「みだりに」犯す罪がたくさんあるかもしれません。そうであるからこそ、神を賛美する時に私たちは解放され、新しい思いをもって主の民として生きることができるのです。
天におられる私たちの父よ、御名が聖とされますように。(マタイ6:9)
十戒の第3の戒めです。
前半を直訳すると、このようになります。「唱えるな、お前の神である主の名を、空しいことのために。」このように、「みだりに」という私たちの親しんでいる翻訳は、直訳すると「空しいことのために」という意味です。
このようなことが命じられているというのは、私たちの現実として空しいことのために神さまのお名前をみだりに口にしている、ということに他ならないのだと思います。そう思ってわが身を振り返ってみると、自分の主張を正当化するために神さまのお名前や信仰を空しく語ってみたり、言い訳のために神さまを持ち出したり、キリスト者ではない家族や知り合いを心の中で裁く大義名分として神さまを持ち出してしまったり・・・ということが起きているのかも知れません。
神さまは、本当は私たちが神さまを賛美するためにご自身を示してくださいました。「天におられる私たちの父よ、御名が聖とされますように。」私たちは、これこそが私の祈りと告白する恵みに招かれています。私の願いは他の何でもなく、主の御名が崇められ、聖とされること。私たちもそうやって神さまをほめたたえる者にして頂いています。私たちの心の中にはいろいろな思いが渦巻いているし、「みだりに」犯す罪がたくさんあるかもしれません。そうであるからこそ、神を賛美する時に私たちは解放され、新しい思いをもって主の民として生きることができるのです。