2025年7月30日水曜日

2025年7月30日の聖句

私の戒めを守って生きよ。
私の教えを目の瞳のように守れ。(箴言7:2)
青年はイエスに言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」(マタイ19:20)

神さまがモーセと出会われたときのことです。神さまはモーセにおっしゃいました。「私は、エジプトにおける私の民の苦しみをつぶさに見、追い使う者の前で叫ぶ声を聞いて、その痛みを確かに知った」(出3:7,8)。それで、神さまはモーセをお遣わしになって、エジプトからヘブライ人たちを救いだしてくださいました。エジプトから出たら、モーセが主と出会ったこの山に再び来るように、主はおっしゃいます。「あなたが民をエジプトから導き出したとき、あなたがたはこの山で神に仕えることになる」(出3:12)。そして、そのお言葉の通りにエジプトから救い出され、再びこの山に来て神を礼拝し、十戒を頂きました。
神の戒めや教えは、私たちを愛し、その苦しみをつぶさに見、叫びを聞きき、痛みを知ってくださったお方が与えてくださったものです。私たちが神の愛によって与えられた命でもってこの世界を生きるための羅針盤です。神の愛が出発点です。
そのことを忘れるとき、このような言葉が出て来るのだと思います。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」この言葉からは、本当に辛い響きが聞こえてきます。これ以上何を頑張れば良いのか、という苦しさが感じられます。しかし、最初のボタンを掛け違えているのだと思います。私たちが頑張る以前に、もう既に神さまは私たちを愛してくださっています。神の愛が私たちの出発点です。
神さまが私たちにお与えになる戒めは、神の愛のしるしであり、私たちを守る盾です。神さまのものとして生きる道を神ご自身が開いてくださいました。神さまが私たちにお求めになるのは、ただ愛することです。神を愛し、隣人を愛すること。「頑張って愛する」というのは、多分無理です。愛は自発的なものですから。私たちの自発を促すのは、神の愛による満たしです。神の愛を日々確認し、神さまのものとして頂いていることを存分に味わい尽くすとき、私たちの新しい歩みが始まるのではないでしょうか。

2026年7月15日の聖句

私の心は激しく揺さぶられ 憐れみで胸が熱くなる。 私は神であって、人ではない。 あなたのただ中にあって聖なる者。 怒りをもって臨むことはない。(ホセア11:8~9) 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。御子を信じる者が一人も滅びないで、永...