主は言われる。私は慈しみ深く永遠に怒ったりしない。ただあなたの負い目を認めなさい。あなたの神である主に敵対し、負い目を背負ったことを。(エレミヤ3:12~13)
私たちの負い目をお赦しください。私たちも自分に負い目のある人を赦しましたように。(マタイ6:12)
私たちにとって本当に難しいのは、「私たちの負い目をお赦しください」と祈ることです。「自分に負い目のある人を赦す」ことよりも、自分のために「赦してください」と祈ることの方がずっと難しいと思います。
もちろん、自分に負い目のある人、自分に罪を犯した人を赦すというのはたいへんなことです。ある人は自分が100デナリオン貸している仲間を赦せず、首を絞めて牢につなぎました。しかしこの人がなぜ赦せなかったのかと言えば、自分が1万タラントンの借金を作ったのにそれを返せず、しかも赦していただいたということを忘れていたからです。自分が赦されなければ生きられない惨めでダメな罪人なのだということを知り、そのことを覚えることは本当に難しいことです。
預言者エレミヤを通して、主なる神さまはおっしゃいます。「主は言われる。私は慈しみ深く永遠に怒ったりしない。ただあなたの負い目を認めなさい。あなたの神である主に敵対し、負い目を背負ったことを。」私たちが神に敵対してきたこと、深い負い目を負っていること。そのことを認めよ、と主なる神さまはおっしゃいます。ただそれだけを神は求めておられる。私たちが人をあげつらうのではなく、神さまの赦しと憐れみの中に立ち帰ることを。
神様の御前に、隣人の前にも、顔向けできず、罪深い私です。私たちがそのことを本当に骨身に染みて知ることができるのは、キリストの赦しの恵みの中だけです。キリストの憐れみの中で、私たちは自分の罪を初めて知ります。主イエス・キリストを求めます。キリストの憐れみを請います。私たちを生かしてくださるお方を慕います。
私たちの負い目をお赦しください。私たちも自分に負い目のある人を赦しましたように。(マタイ6:12)
私たちにとって本当に難しいのは、「私たちの負い目をお赦しください」と祈ることです。「自分に負い目のある人を赦す」ことよりも、自分のために「赦してください」と祈ることの方がずっと難しいと思います。
もちろん、自分に負い目のある人、自分に罪を犯した人を赦すというのはたいへんなことです。ある人は自分が100デナリオン貸している仲間を赦せず、首を絞めて牢につなぎました。しかしこの人がなぜ赦せなかったのかと言えば、自分が1万タラントンの借金を作ったのにそれを返せず、しかも赦していただいたということを忘れていたからです。自分が赦されなければ生きられない惨めでダメな罪人なのだということを知り、そのことを覚えることは本当に難しいことです。
預言者エレミヤを通して、主なる神さまはおっしゃいます。「主は言われる。私は慈しみ深く永遠に怒ったりしない。ただあなたの負い目を認めなさい。あなたの神である主に敵対し、負い目を背負ったことを。」私たちが神に敵対してきたこと、深い負い目を負っていること。そのことを認めよ、と主なる神さまはおっしゃいます。ただそれだけを神は求めておられる。私たちが人をあげつらうのではなく、神さまの赦しと憐れみの中に立ち帰ることを。
神様の御前に、隣人の前にも、顔向けできず、罪深い私です。私たちがそのことを本当に骨身に染みて知ることができるのは、キリストの赦しの恵みの中だけです。キリストの憐れみの中で、私たちは自分の罪を初めて知ります。主イエス・キリストを求めます。キリストの憐れみを請います。私たちを生かしてくださるお方を慕います。