2025年12月17日水曜日

2025年12月17日の聖句

災いあれ、悪を善と言い、善を悪と言う者には。
彼らは、闇を光とし、光を闇とする。(イザヤ5:20)
悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。(ローマ12:21)

「悪を善と言い、善を悪と言う」とありますが、現代社会でごく一般的に起きていることのように思います。善悪の基準が非常にいい加減で、物事の善し悪しの判別ができなくなってしまっている時代のように思います。社会的な立場も地位もある人が堂々と嘘をついていたり、大きな声で憎しみをまき散らすような人が大きな顔をしたりすることも珍しくありません。いや、それは今の時代だけの話ではないのかもしれない。人間の歴史は、そういうことの繰り返しなのかもしれません。だからこそ、預言者は言わないわけにはいかなかったのでしょう。「災いあれ、悪を善と言い、善を悪と言う者には。彼らは、闇を光とし、光を闇とする。」
聖書は言います。「悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。」悪で悪に対抗することが「現実的」と言われます。善にこだわるのはバカだと考えられたり、善を志す人は却って空気の読めない迷惑な人と言われたりする世の中です。しかし聖書は善をもって悪に打ち勝つことを教えます。
この時の「善」というのは、当然、独り善がりなものではないはずです。聖書の語り口を考えるならば、愛に足る善ということであるに違いないと思います。それはキリストが私たちに示してくださった善であるはずです。そうであるならばなおのこと、善をもって生きるならばキリストのように迫害されるのが当然なのかもしれません。
私たちはどう生きるのでしょうか。独り善がりでもなく、迎合的でもなく、神に従い、キリストがしてくださったように生きるには、一体どうしたら良いのでしょうか。それはただ聖霊なる神様に日ごとに新しくして頂き、キリストのものとして生かして頂くということでしかないのだと思います。主よ、私をあなたのものとしてください。そう祈り、今日の日を歩んでいきたいと願います。

2025年12月17日の聖句

災いあれ、悪を善と言い、善を悪と言う者には。 彼らは、闇を光とし、光を闇とする。(イザヤ5:20) 悪に負けることなく、善をもって悪に勝ちなさい。(ローマ12:21) 「悪を善と言い、善を悪と言う」とありますが、現代社会でごく一般的に起きていることのように思います。善悪の基準が非...