主はあなたの地境に平和を造り出す。(詩編147:14)
平和を造る人々は、幸いである。
その人たちは神の子と呼ばれる。(マタイ5:9)
地境は、古今東西を問わず、常に争いの種です。自分のためにそれを少しでも広くしようと誰もがする。今年も終わらなかった戦争も地境の争いです。大きなものが小さなものに侵蝕し、蝕んできました。文字通りの土地の問題だけではありません。少しでも自分に有利にしようとすること、自分の領分を広げようとすること、自分の方がより豊かになろうとすること、そういう私たちの性行の悪さが諍いを生んでしまっています。世界でも、私たちの身の回りでも、同じなのだと思います。
「主はあなたの地境に平和を造り出す」と御言葉は言います。地境に平和を造り出すというのは、まさに神業です。私たちは自分の立場から見た正義しか考えられませんから、相手との利害は衝突するし、よかれと思ったことでも立場を変えてみれば悪でしかない。私たちの浅はかな知恵はなかなか平和を造り出すことができない。そういう現実をこれでもかと見せつけられた一年でもあったように思います。神さまが生み出してくださる平和に期待し、待ち望み、平和を来たらせてくださいと祈ります。
しかし同時に、神さまが棚からぼた餅を落としてくださるのを待っていれば良いというわけではない。「平和を造る人々は、幸いである」と主は言われます。平和を造る幸いに私たちを招いておられます。主は私たちの罪深さや浅はかさ、さもしさ浅ましさをよくご存じでいらっしゃりながら、それでもなお私たちがキリストの平和を実現することを望んでおられる。私たちはへりくだってキリストの平和の使者としてこの世で仕えるのです。
平和を造る人々は、幸いである。
その人たちは神の子と呼ばれる。(マタイ5:9)
地境は、古今東西を問わず、常に争いの種です。自分のためにそれを少しでも広くしようと誰もがする。今年も終わらなかった戦争も地境の争いです。大きなものが小さなものに侵蝕し、蝕んできました。文字通りの土地の問題だけではありません。少しでも自分に有利にしようとすること、自分の領分を広げようとすること、自分の方がより豊かになろうとすること、そういう私たちの性行の悪さが諍いを生んでしまっています。世界でも、私たちの身の回りでも、同じなのだと思います。
「主はあなたの地境に平和を造り出す」と御言葉は言います。地境に平和を造り出すというのは、まさに神業です。私たちは自分の立場から見た正義しか考えられませんから、相手との利害は衝突するし、よかれと思ったことでも立場を変えてみれば悪でしかない。私たちの浅はかな知恵はなかなか平和を造り出すことができない。そういう現実をこれでもかと見せつけられた一年でもあったように思います。神さまが生み出してくださる平和に期待し、待ち望み、平和を来たらせてくださいと祈ります。
しかし同時に、神さまが棚からぼた餅を落としてくださるのを待っていれば良いというわけではない。「平和を造る人々は、幸いである」と主は言われます。平和を造る幸いに私たちを招いておられます。主は私たちの罪深さや浅はかさ、さもしさ浅ましさをよくご存じでいらっしゃりながら、それでもなお私たちがキリストの平和を実現することを望んでおられる。私たちはへりくだってキリストの平和の使者としてこの世で仕えるのです。