2015年1月11日日曜日

マタイによる福音書9:9-13「おいしゃさんはだれのために?」

今日はファミリーサンデー。子どもと大人とが一緒に神さまを礼拝している。子どもの声に合わせて大人が讃美し、子どものペースに合わせて大人も祈る。すばらしい事だ。天の国はこういうことなのではないだろうか。今日は何よりも、子どもたちに、イエス様があなたを大好きだということを知ってほしい。そして、子どもたちにもイエス様を大好きになってほしい。そのためにイエス様を紹介したい。今日はイエス様と一人の人との出会いの物語だ。その人は徴税人マタイ。マタイの仕事は税金を取り立てることなのだが、悪いことに当時の徴税人たちは規定の額以上にたくさん取り立てていた。ただでさえ税金を取られるのはいやなものだが、ましてだまし取っていたとなると嫌われて当然。マタイら徴税人らは町の鼻つまみ者だ。そんなマタイが収税所に座っていた。座って何をしていたのか。仕事にいそしんでいたのか。考え事をしていたのか。ボーッとしていたのか。フト思う。金持ちになるのと友達がたくさんいるのと、どちらがしあわせなのだろう。もしかしたら、マタイはかつてはお金が欲しかったけれど、皆に嫌われ、友達がいないことに疲れていたのかも知れない。イエス様は収税所に座っているマタイをご覧になって、「わたしに従いなさい」とおっしゃった。マタイはすぐに従った。嬉しかったに違いない。だから、マタイは他の徴税にの仲間や罪人と呼ばれる町の嫌われ者たちを集めて、自宅でパーティーをした。嬉しかったのだ。ところが、そんな様子を見て呟くものもいる。どうしてイエスは徴税人や罪人と一緒に食事をするのか、と。それを耳にしたイエス様はおっしゃった。「医者を必要とするのは、丈夫な人ではなく病人である。」健康な人、元気な人のために医者がいるのではない。病人のために医者がいる。当たり前のことだ。主イエスはおっしゃるのだ。「わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招くためである。」ここまで来るともう当たり前の言葉ではない。驚きをもって聞かないわけにはいかない。イエスは嫌われている人、困った人のために来たと言われるのだ。どんな人でも、周りから例えどう思われていたとしても、イエス様は仲間になってくださる。むしろ、そのために来てくださった。だから私もイエス様の仲間になれた。今日は餅つき、パーティーだ。ここには誰でも入れる。イエスは「私についてこい」と招いておられる。

2024年12月22日の聖句

今週の聖句: 主にあっていつも喜びなさい。主は近いのです。(フィリピ4:4,5b) 今日の聖句: あなたこそわが希望なる主。わが神よ、私は若い時からあなたに信頼しました。(詩編71:5) 私たちは、この希望のうちに救われているのです。現に見ている希望は希望ではありません。現に見て...