2015年11月22日日曜日

ヨナ書第4章1から4節「神にとっての”当たり前”」

ヨナはイスラエルの預言者でした。しかし、主なる神はヨナに仰せになります。「さあ、大いなる都ニネベに行ってこれに呼びかけよ。彼らの悪はわたしの前に届いている。」ニネベはイスラエルの敵国アッシリアの首都です。ヨナはそれを拒み船に乗って反対方向へ遠ざかりました。しかし、主が大風を起こし、海は大荒れとなり、船は今にも砕けんばかりになりました。乗船していた者たちはそれぞれ自分の神に祈ります。しかし、ヨナだけは船底で居眠りしていました。人々はヨナに怒り、ヨナが主の前から逃げてきたと知ると、恐れます。ヨナは「わたしの手足を捕らえて海にほうり込むがよい」と言いました。そして海にほうり込まれたヨナのために、主は魚を送り、のみ込まれた彼は三日三晩腹の中で過ごしました。再び主が魚に命じたので、ヨナは陸にはき出されました。そんなヨナに主は再びニネベへ行けと命じられる。遂に彼はそれに従い、ニネベの町で叫びました。「あと40日すれば、ニネベの都は滅びる。」意外なことにニネベの人々は町人から王に至るまでこの言葉を受け入れ、神の前に悔い改めました。神はそれをご覧になって、ニネベを滅ぼすことを思い直されました。そして、ヨナは怒りました。「ああ、主よ、わたしがまだ国にいましたとき、言ったとおりではありませんか。(略)わたしには、こうなることが分かっていました。」ヨナは不満でした。ニネベの人々が悔い改めて裁きを免れたことが。なぜか。ニネベ、つまりアッシリアはヨナやイスラエルの人々にとっては許しがたい敵です。しかも、イスラエルは大国アッシリアに苦しめられていたのです。あんな連中は早く滅びてしまえば良いと思っていたのです。しかし、主が語る言葉をニネベの人々が聞けば、悔い改めるに違いないとヨナは考えていました。だから、彼は逃げた。憎きニネベが滅びることがヨナの望む当然の報いなのです。ヨナはニネベがどうなるか見届けようと、暑い日差しの中で高みの見物を決め込みました。主はヨナのためにとうごまの木を生えさせ、ヨナのための日陰を作ります。ヨナは喜びました。しかし、翌日神はその木を枯らしてしまいました。ヨナは再び怒ります。主は彼に仰せになりました。「お前は、自分で労することも育てることもなく、一夜にして生じ、一夜にして滅びたこのとうごまの木さえ惜しんでいる。それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」この問いでこのヨナ書は終わります。ヨナ書は読む者に「神の当たり前」を突きつけます。主にとって、滅んで当然の者などいないのだ、と。お前を憎む者のことをも神は惜しむのだ、と。神の当たり前を、あなたの当たり前としますか?

2024年3月29日の聖句

ヤコブは、神が自分と語られた場所をベテル(神の家)と名付けた。(創世記35:15) 百人隊長や一緒にイエスの見張りをしていた人たちは、自身やいろいろの出来事を見て、非常に恐れ、「まことに、この人は神の子だった」と言った。(マタイ27:54) 神が自分と語られた場所をベテル(神の家...