2015年11月15日日曜日

ルカによる福音書6:20,21,27b,28,31,32,36「おめでとう、子どもたち!」

今日の主題は「祝福」です。ブルッゲマンという人が、「祝福とはー言葉や身振りによってー一方が他方に生命の力を伝達する行為である。この伝達行為は強固な対人関係が成り立つ世界で起こるが、実証的に説明することはできない」と言っていました。とても面白い説明だと、大変興味を覚えました。祝福とは、生命の力の伝達。今年も段々と終わりに近づいていますが、この一年で私がたくさんの方に祝福していただいた出来事と言えば、やはり、娘が生まれたことです。「おめでとう」と大勢の方に言って頂きました。新しい命の誕生の時の祝福です。生まれて一ヶ月して、娘は幼児洗礼を授けて頂きました。その時にもたくさんの方におめでとうと言って頂きました。そして、それら一連のことを通して何よりも教えられるのは、皆さんの「おめでとう」という言葉と共に響くようにして、神が「おめでとう」と祝福してくださっているということです。祝福の力は「実証的に説明することはできない」ものです。しかも、聖書が証言する祝福の力はなおのことそうです。イエスは言われました。「貧しい人々は、幸いである。今飢えている人々は、幸いである。今泣いている人々は、幸いである。」どうしてそのようなことが言えるのでしょうか。生命の力の正反対にいるような現実なのに。主イエスはおっしゃいます。「神の国はあなたがたのものである。あなたがたは満たされる。あなたがたは笑うようになる。」ここには主イエスの断乎たる決意が込められています。私が、あなたがたを神の国に招く。私があなたがたを満たす。私があなたがたに笑顔を与える。その祝福は実証的に説明しようとしても、そういう説明には馴染まないものです。しかし、確かにあなたはもうすでに祝福されています。貧しくても、飢えていても、泣いていても。いや、貧しいからこそ、飢えているからこそ、泣いているからこそ、神はあなたを祝福しておられます。神以外の他に生きるよすがのない者を、どうして神がお見捨てになるはずがあるでしょうか。「あなたがたの父」である神は憐れみ深いお方です。生命の力である祝福を、どのようなときにも必ず下さいます。しかも、この世の命だけでは終わらない、神の国に生きる祝福の力を。もう、あなたはイエスが下さる神の祝福の中に生きている。だから、子どもにも、大人にも、今日私は言いたいのです。「おめでとう、神はあなたと共におられます。」

2024年12月22日の聖句

今週の聖句: 主にあっていつも喜びなさい。主は近いのです。(フィリピ4:4,5b) 今日の聖句: あなたこそわが希望なる主。わが神よ、私は若い時からあなたに信頼しました。(詩編71:5) 私たちは、この希望のうちに救われているのです。現に見ている希望は希望ではありません。現に見て...