今日の主題は「祝福」です。ブルッゲマンという人が、「祝福とはー言葉や身振りによってー一方が他方に生命の力を伝達する行為である。この伝達行為は強固な対人関係が成り立つ世界で起こるが、実証的に説明することはできない」と言っていました。とても面白い説明だと、大変興味を覚えました。祝福とは、生命の力の伝達。今年も段々と終わりに近づいていますが、この一年で私がたくさんの方に祝福していただいた出来事と言えば、やはり、娘が生まれたことです。「おめでとう」と大勢の方に言って頂きました。新しい命の誕生の時の祝福です。生まれて一ヶ月して、娘は幼児洗礼を授けて頂きました。その時にもたくさんの方におめでとうと言って頂きました。そして、それら一連のことを通して何よりも教えられるのは、皆さんの「おめでとう」という言葉と共に響くようにして、神が「おめでとう」と祝福してくださっているということです。祝福の力は「実証的に説明することはできない」ものです。しかも、聖書が証言する祝福の力はなおのことそうです。イエスは言われました。「貧しい人々は、幸いである。今飢えている人々は、幸いである。今泣いている人々は、幸いである。」どうしてそのようなことが言えるのでしょうか。生命の力の正反対にいるような現実なのに。主イエスはおっしゃいます。「神の国はあなたがたのものである。あなたがたは満たされる。あなたがたは笑うようになる。」ここには主イエスの断乎たる決意が込められています。私が、あなたがたを神の国に招く。私があなたがたを満たす。私があなたがたに笑顔を与える。その祝福は実証的に説明しようとしても、そういう説明には馴染まないものです。しかし、確かにあなたはもうすでに祝福されています。貧しくても、飢えていても、泣いていても。いや、貧しいからこそ、飢えているからこそ、泣いているからこそ、神はあなたを祝福しておられます。神以外の他に生きるよすがのない者を、どうして神がお見捨てになるはずがあるでしょうか。「あなたがたの父」である神は憐れみ深いお方です。生命の力である祝福を、どのようなときにも必ず下さいます。しかも、この世の命だけでは終わらない、神の国に生きる祝福の力を。もう、あなたはイエスが下さる神の祝福の中に生きている。だから、子どもにも、大人にも、今日私は言いたいのです。「おめでとう、神はあなたと共におられます。」
2025年12月4日の聖句
律法を知らない子どもたちが、またこれを聞きかつ学び、あなたがたの神である主をいつでも畏れるようになるべきです。(申命記31:13) 父親たち、子どもを怒らせず、主のしつけと諭しによって育てなさい。(エフェソ6:4) 私にとっては非常に耳の痛い御言葉です。「父親たち、子どもを怒らせ...
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1. ヨハネによる福音書は最後の晩餐の場面をとても長く書いている。全部で21章の福音書の内の5章、4分の一に近い。しかも、いわゆる受難週の記事の殆どがこの晩餐の場面だ。その最後の晩餐を覚える祈祷会をこの木曜日に献げている。キリストがしてくださったように私たちもするのだ。主が...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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主よ、私の祈りをお聞きください。私の叫びに耳を傾けてください。私の涙に黙していないでください。(詩編39:13) (一人の罪深い女が)イエスの背後に立ち、イエスの足元で泣きながらその足を涙でぬらし始め、自分の髪の毛で拭い、その足に接吻して香油を塗った。イエスは女に言われた。「あな...