2016年2月17日水曜日

詩編第6篇「嘆きの詩編に自分を発見する」


激しい嘆きの詩編である。主の怒りのために、ただ嘆き、悲しみ、憐れみを求めるしかない。死を思わざるを得ない絶望。もう、嘆き疲れ、「夜ごと涙は床に溢れ、寝床は漂うほど」なのだ。このような絶望を経験したことがあるだろうか。これほどの涙を流したことがあるだろうか。この詩編を自分の祈りとする者は、この深い絶望の言葉に自分の嘆きを見いだし、それによっていやされる。「主は私の嘆きを聞」いてくださる。それは本当の事だ。

2023年3月25日の聖句

忍耐の力は強さにまさる。自制の力は町を占領するにまさる。(箴言16:32) 平和を造る人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。(マタイ5:9) 「平和を造る人々は、幸いである。」主イエスがそのように言われます。他の誰でもなく、主イエスさまが。 平和を造る、というのはとて...