2016年2月17日水曜日

詩編第6篇「嘆きの詩編に自分を発見する」


激しい嘆きの詩編である。主の怒りのために、ただ嘆き、悲しみ、憐れみを求めるしかない。死を思わざるを得ない絶望。もう、嘆き疲れ、「夜ごと涙は床に溢れ、寝床は漂うほど」なのだ。このような絶望を経験したことがあるだろうか。これほどの涙を流したことがあるだろうか。この詩編を自分の祈りとする者は、この深い絶望の言葉に自分の嘆きを見いだし、それによっていやされる。「主は私の嘆きを聞」いてくださる。それは本当の事だ。

2025年11月17日の聖句

主の契約を守る者にとって、主の道はすべて慈しみとまこと。(詩編25:10) (イエスの言葉)私のために、人々があなたがたを罵り、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いである。喜びなさい。大いに喜びなさい。天には大きな報いがある。(マタイ5:11~12) 主...