激しい嘆きの詩編である。主の怒りのために、ただ嘆き、悲しみ、憐れみを求めるしかない。死を思わざるを得ない絶望。もう、嘆き疲れ、「夜ごと涙は床に溢れ、寝床は漂うほど」なのだ。このような絶望を経験したことがあるだろうか。これほどの涙を流したことがあるだろうか。この詩編を自分の祈りとする者は、この深い絶望の言葉に自分の嘆きを見いだし、それによっていやされる。「主は私の嘆きを聞」いてくださる。それは本当の事だ。
2023年3月25日の聖句
忍耐の力は強さにまさる。自制の力は町を占領するにまさる。(箴言16:32) 平和を造る人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。(マタイ5:9) 「平和を造る人々は、幸いである。」主イエスがそのように言われます。他の誰でもなく、主イエスさまが。 平和を造る、というのはとて...
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主イエス・キリストが、安息日になるといつものように会堂に入り、聖書を朗読なさいます。これだけでもう慰め深い言葉です。私たちは今主がそうなさったのと同じように、私たちの安息日である主の日、日曜日に教会堂に集まって礼拝を献げています。今日、ここに来られな...
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最近、キリスト者学生会総主事の大嶋重徳さんという方が『朝夕に祈る 主の祈り』という本を出版されました。「 30 日間のリトリート」という副題がついています。リトリートというのは静かなところに行き、静まって祈りのときを持つことです。主の祈りの小さなお話...
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主は孤児と寡婦の権利を守り、よそ者を愛して食事と衣服を与えることを愛される。だからよそ者を愛しなさい。(申命記10:18~19) 私はかつてよそ者でしたが、あなたがたは私を受け入れてくれました。(マタイ25:35) 昨日、とても悲しいことがありました。とあるSNSで「外国人生活保...