謂われない敵意に囲まれ、理由もないのに憎まれる。兄弟であるはずの者が私を失われた者とし、私を異邦人、よそ者と見なす。人の敵意は辛い。針のむしろは痛いのだ。その苦しみの中から神を呼び求める。「恵みと慈しみの主よ、私に答えてください」と。そして自分に敵意を向ける者のことはもう神にまかせてしまうのだ。確かに、私たちがいつまでも誹謗中傷にかかずらう必要はないのである。むしろ神を讃美することに心身を向けたい。
2023年3月24日の聖句
主の言葉:私が繰り返し語り続けてきたのに、あなたがたは聞き従わなかった。(エレミヤ35:14) イエスの言葉:幸いなのは神の言葉を聞き、それを守る人である。(ルカ11:28) 主イエスは私たちの間に神の国をもたらしてくださいました。キリストこそ神の国そのものです。神がここにおられ...
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主イエス・キリストが、安息日になるといつものように会堂に入り、聖書を朗読なさいます。これだけでもう慰め深い言葉です。私たちは今主がそうなさったのと同じように、私たちの安息日である主の日、日曜日に教会堂に集まって礼拝を献げています。今日、ここに来られな...
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最近、キリスト者学生会総主事の大嶋重徳さんという方が『朝夕に祈る 主の祈り』という本を出版されました。「 30 日間のリトリート」という副題がついています。リトリートというのは静かなところに行き、静まって祈りのときを持つことです。主の祈りの小さなお話...
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主は孤児と寡婦の権利を守り、よそ者を愛して食事と衣服を与えることを愛される。だからよそ者を愛しなさい。(申命記10:18~19) 私はかつてよそ者でしたが、あなたがたは私を受け入れてくれました。(マタイ25:35) 昨日、とても悲しいことがありました。とあるSNSで「外国人生活保...