2017年9月7日木曜日

詩篇第85編「主の平和の宣言を信じよう」


この詩編を読むと少し困惑する。58節が他と少し調子が違うからだ。この作者は今どのような状況にあるのか。「あなたはとこしえにわたしたちを怒り、その怒りを代々に及ぼされるのですか。(6)」しかし、他の部分では救いを確信し、あるいはそれをすでに目撃している言葉になっている。なぜか。恐らく、この祈りをしている今はまだ苦しみ、神の怒りを見ている。しかし、その苦しみの中で既に救いを確信しているのだ。それが信仰なのだ。

2025年12月4日の聖句

律法を知らない子どもたちが、またこれを聞きかつ学び、あなたがたの神である主をいつでも畏れるようになるべきです。(申命記31:13) 父親たち、子どもを怒らせず、主のしつけと諭しによって育てなさい。(エフェソ6:4) 私にとっては非常に耳の痛い御言葉です。「父親たち、子どもを怒らせ...