2017年11月16日木曜日

詩編第95編「今日こそ」


「今日こそ、主の声に聞き師が側なければならない。」今日こそ、というのは、これまでの自分たちの歴史をふり返っているから。それは心を頑なにしてきた歴史であり、主を試みてきてきた日々であった。しかし、主は「わたしたちを造られた方」であり、私たちは「主に養われる群れ」だ。それは当たり前の事実ではない。「今日こそ」と日ごとに自分に言い聞かせながら主に仕えよう。ルターが言った「日ごとの悔い改め」はそのことではないか。

2026年7月31日の聖句

見よ、私は我が民を火で精錬し、試練を与える。(エレミヤ9:6) 祈りなさい、誘惑に陥らないために。(ルカ22:40) 聖書が書かれた言語では、日本語で「試練」と翻訳される言葉と「誘惑」と翻訳される言葉とは同じ単語で言い表されます。同じ出来事が、場合によっては試練にもな...