2017年11月16日木曜日

詩編第95編「今日こそ」


「今日こそ、主の声に聞き師が側なければならない。」今日こそ、というのは、これまでの自分たちの歴史をふり返っているから。それは心を頑なにしてきた歴史であり、主を試みてきてきた日々であった。しかし、主は「わたしたちを造られた方」であり、私たちは「主に養われる群れ」だ。それは当たり前の事実ではない。「今日こそ」と日ごとに自分に言い聞かせながら主に仕えよう。ルターが言った「日ごとの悔い改め」はそのことではないか。

2025年12月3日の聖句

(モーセの言葉)「主の民すべてが預言者になり、主がご自身の霊を彼らの上に与えてくださればよいと望んでいる。」(民数記11:29) あなたがたの上に聖霊が降ると、あなたがたは力を受ける。(使徒1:8) モーセと共にエジプトを脱出した神の民。迫り来るエジプトの軍隊から逃れるために神が...