2017年12月14日木曜日

詩編第99編「主は聖なる方」


「主は聖なる方。」三度、そう繰り返す。聖なる方は大いなる、恐るべき方。我らの王。礼拝されるべきお方だ。改革者カルヴァンは、我らは神を礼拝するために生きていると言った。礼拝とは、主を聖なる方らしくあがめることだ。聖なる方が私たちの間に住まわれたのがクリスマスの出来事である。聖なる方は飼い葉桶におられるのだ。私たちはこの方をあがめる。この世で無価値と捨てられた方の前に膝をかがめる。そのことを肝に銘じたい。

2025年4月7日の聖句

主は虐げられているすべての者のために、正義と公正を行う。(詩編103:6) だから、なすべき善を知りながら行わないなら、それはその人の罪です。(ヤコブ4:17) 主が、正義と公正を行われる。虐げられているすべての人のために。ここに、私たちのなすべき善がある。聖書はそのように言いま...