2018年1月18日木曜日

詩編第104編「主をたたえる者が知っていること」


この詩編の興味深いのは、天の神の栄光をまず「光を衣として身を被っておられる」と表現し、その後、「家畜のためには牧草を茂らせ、地から糧を引き出そうと働く人間のために、さまざまな草木を生えさせられる」などとも言っていることだ。天の神の栄光というと自分からは遠いと感じてしまう。しかし、それは私たちが命を長らえるための神のご配慮を別のものではない。何と深い神の慈しみであろう。我らは神の栄光に生かされているのだ。

2024年10月21日の聖句

私はこの民を私のために造った。彼らは私の誉れを告げるであろう。(イザヤ43:21) しかし、キリストは御子として神の家を忠実に治められます。もし確信と希望に満ちた誇りとを持ち続けるなら、私たちこそ神の家なのです。(ヘブライ3:6) 「確信と希望に満ちた誇り」。私たちは何を誇りとし...