2019年1月31日木曜日

詩編第137編「涙を忘れてはいないか?」


「バビロンの流れのほとりに座り、シオンを思って、わたしたちは泣いた。」深い悲しみをたたえた哀歌だ。今は屈辱的な日々を過ごしている。神を信じる者が、その信仰のために侮辱されている。フト思う。私は、この悲しみや悔しさを忘れてしまっているのではないか。「エルサレムよ、もしも、わたしがあなたを忘れるなら、わたしの右手は萎えるがよい」と言うが、これはそこで献げた礼拝を忘れないということだろう。涙を忘れてはいないだろうか?

2024年12月21日の聖句

私の魂は生ける神に向かって、身も心も喜び歌います。(詩編84:3) (マリアへのエリサベトの言葉)私の主のお母様が、私のところに来てくださるとは、何ということでしょう。あなたの挨拶のお声を私が耳にしたとき、胎内の子が喜び踊りました。(ルカ1:43~44) エリサベトは既に老齢でし...