2019年1月17日木曜日

2019年1月17日(創世記30)

今日の通読箇所:マタイによる福音書13:1-30、創世記30、詩編21

創世記30;
人間の思惑がうごめいている章です。ヤコブの二人の妻、レアとラケル。彼女たちの召使いであるジルパとビルハも巻き込まれます。この章の前半で、ヤコブには11人の男の子と一人の女の子が生まれました。そして、片やヤコブ自身です。叔父のラバンとの熾烈な駆け引きが続いています。結婚の時にもすでに駆け引きが始まっていましたが、ここに来てそれが激化していきます。騙し、騙されるような、まさに骨肉の争いです。
いろいろな思惑が動いていますし、そのことでたくさんの人が傷ついているのだろうと思わせる箇所です。人間の混乱が深まっています。
そんな中で、ヤコブにラケルが言います。「私に子どもをください。さもないと、私は死にます。(1節)」このとき、すでに姉のレアはヤコブとの間に4人の子どもを生んでいました。そう言われたヤコブは答えます。「私が神に代われるというのか。あなたの胎に子どもを宿らせないのは神なのだ。(2節)」確かにヤコブにどうすることもできない問題ですが、あまりにも思いやりに欠けています。ラケルは傷ついたと思います。しかし、同時に、この思慮を欠いた言葉はヤコブの意図を超えてこの章の根底にあるものを言い表しているとも思います。
ここでは、人間のたくさんの思惑がぶつかり、混沌としています。しかし、そんな中で生まれてくる子どもたちについては、このように書かれています。「神はレアの願いを聞き届けられたので、彼女はみごもって・・・(17節)」、「神はラケルを忘れず心に留めておられた。神は彼女の願いを聞き入れ、その胎を開かれた(22節)」。人間の混乱と混沌の中で、神様の御業が進んでいます。生まれてくる子どものことも、渡る世間での駆け引きも、そこには人間の思惑が強烈に働いていますが、それでも神のお働きが確かにあり、人間の混乱の中で神の歴史が進んでいるのです。
それは、私たちのことです。私たちの思惑を超える神の御業は、今日も、私たちのところで進んでいます。神が進めてくださっています。

2025年1月12日の聖句

今週の聖句: 神の霊に導かれる者は、誰でも神の子なのです。(ローマ8:14) 今日の聖句: 憎しみはいさかいを引き起こし、愛は背きのすべてを覆い隠す。(箴言10:12) 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めの献げ物として御子をお遣わしになりまし...