2019年1月20日日曜日

2019年1月20日(創世記34〜35)

今日の通読箇所:マタイによる福音書15、創世記34~35、詩編24

創世記34~35;
ヤコブ一家にとって、とりわけ娘のディナにとって、本当に悲しい事件が起こりました。ヒビ人ハモルの息子シェケムという男が、ディナを辱めたのです。決してあってはならないことをしました。同じ母レアから生まれた兄弟のシメオンとレビは、シェケムとその一族に復讐を果たし、皆殺しにしました。父ヤコブは、そこまでの出来事になるとは想像していなかったようです。「厄介なことをしてくれたものだ(34:30)」と言って、戸惑いを隠しきれません。
もう一つのことも起きています。長男のルベン、彼もレアとの間に生まれた息子ですが、彼はビルハという父の側女と関係を持ちました。そのことはヤコブの知るところになった。しかし、それについて咎めたようすはありません。
ヤコブの父としてのあり方は、なんとも情けないものでした。一族のリーダーとして、少し頼りないように感じてしまいます。
もう一つ、ヤコブにとって悲しい出来事がありました。最愛の妻ラケルが、出産に際して死んでしまったのです。ヤコブの13番目の子ども、十二男ベニヤミンを生んだとき、母ラケルは死んでしまいました。彼にとっては、頼るべきものを失ってしまうような経験だったと思います。
これまでヤコブの歩みを見てきました。あまり立派な人ではありません。それだけに、いろいろな場面で自分と重ね合わせてしまうような人です。
そんなヤコブに、やはり、神様が語りかけ続けてくださっています。「神はヤコブに言われた。『さあ、ベテルに上り、そこに住みなさい。あなたが兄エサウの前から逃れて行ったとき、あなたに現れた神のため、そこに祭壇を造りなさい。』(35:1)」ヤコブの迷いや悲しみ、家族の悲しみ、その中でしっかりと立ち得ない、そんなヤコブをそれでも見捨てずに語りかけ続けてくださった神様。最愛の妻を失ったときにも、神様はヤコブを放すことはありませんでした。私たちを同じように掴んでいてくださる神様。この方を、私たちも拝むために、神の家(ベテル)に帰って行きましょう。

2025年1月12日の聖句

今週の聖句: 神の霊に導かれる者は、誰でも神の子なのです。(ローマ8:14) 今日の聖句: 憎しみはいさかいを引き起こし、愛は背きのすべてを覆い隠す。(箴言10:12) 私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、宥めの献げ物として御子をお遣わしになりまし...