2019年1月29日火曜日

2019年1月29日(創世記47-48)

今日の通得箇所:マタイによる福音書23:1-22、創世記47-48、詩編34

創世記47-48;
ヤコブはファラオと会ったときに言いました。「異国の地に身を寄せた年月は130年になります。私の生きた年月は短く、労苦に満ち、先祖たちが異国の地に身を寄せて生きた年月には及びません。(47:9)」これは年末に出たばかりの聖書協会共同訳の新しい翻訳ですが、この「異国の地に身を寄せた」という言葉は、新共同訳では「旅路」と訳していました。
ずいぶんと印象が変わります。もともと、アブラハムは生まれ故郷ウル(現在のイラクのあたり)を離れて、神に言われるままに現在のパレスチナ地方にやってきました。ヤコブはそれから三代目で、生まれたのはパレスチナ地方です。生まれてからずっと異国の地に身を寄せて生きてきました。自分たちが所有する土地は、アブラハムが眠るお墓だけです。ヤコブにあったのは、神様の約束だけです。他には、どこにも身を寄せる場所がありませんでした。
新約聖書のヘブライ人への手紙で、アブラハム、イサク、ヤコブたちのことがこのように言われています。「この人たちは皆、信仰を抱いて死にました。約束のものは手にしませんでしたが、はるかにそれを見て喜びの声を上げ、自分たちが地上ではよそ者であり、滞在者であることを告白したのです。彼らはこのように言うことで、自分の故郷を求めていることを表明しているのです。もし出てきた故郷のことを思っていたのなら、帰る機会はあったでしょう。ところが実際は、彼らはさらにまさった故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。だから、神は彼らの神と呼ばれることを恥となさいません。(ヘブライ11:13-16)」
ヤコブはその最期の時まで、異国を旅する一人の信仰者として生きたのです。私たちも、同じ旅路を歩んでいます。

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