2019年1月28日月曜日

2019年1月28日(創世記45〜46)

今日の通読箇所:マタイによる福音書22、創世記45~46、詩編32創世記45~46;神様のなさることはあまりにも大きく、途方もなく、私たちの小さな目ではそのすべてを見ることはできないし、私たちの小さな心ではそのほんのわずかでも受け止めることができない。そう思うことがあります。このヨセフを巡る出来事も、そうだったのではないでしょうか。「私はあなたがたがエジプトへ売ったヨセフです。しかし今は、私をここへ売ったことを悔やんだり、責め合ったりする必要はありません。命を救うために、神が私をあなたがたより先にお遣わしになったのです。」「神が私をあなたがたより先にお遣わしになったのは、この地で生き残る者をあなたがたに与え、あなたがたを生き長らえさせて、大いなる救いに至らせるためです。私をここへ遣わしたのは、あなたがたではなく、神です。」(45:4-5,7-8)兄弟たちは一度カナンの地で待つ父の元へ帰り、ヨセフが生きていたことを伝えました。それを聞いて「父は呆然とした(26)」と言います。あまりのことですから、それ以外にはなかったのでしょう・・・。しかし、一つ問題がありました。ヨセフはエジプトに来てくれるように言います。ヤコブもそれを喜びます。しかし、このカナンの地は、神がアブラハム、イサクに、あなたの子孫にこの地を与えると約束してくださった地です。アブラハムもイサクも、エジプトに下って失敗していました。だから、神ご自身がヤコブに語りかけてくださいました。「私は神、あなたの父の神である。エジプトへ下ることを恐れてはならない。私はそこであなたを大いなる国民とする。私はあなたと共にエジプトへ下り、また必ずあなたを導き上る。(46:3-4)」神様のご支配は大きく、私たちには途方もなくて呆然とします。しかし、小さな私たちのために、神様はご配慮くださって、その時その時に必要な御言葉を語りかけてくださいます。ですから、毎日聖書に聞くことは、本当に幸いなことです。

2024年4月24日の聖句

恐れるな、もはや恥を受けることはないから。(イザヤ54:4) 天使は女たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。」(マタイ28:5~6) 「あの方は、ここにはおられない。」最初のイースターの朝...