2019年2月1日金曜日

2019年2月1日(出エジプト記1〜2)

今日の通読箇所:マタイによる福音書24:29-51、出エジプト記1~2、詩編37

出エジプト記1~2;
ヨセフの時代から時間が経ち、新しい時代のエジプト王は増えゆくヘブライ人を恐れ、彼らを奴隷にする政策を執りました。物語がとても豊かな箇所ですので、ぜひ聖書本文を読んでからこのメッセージを読んで頂ければと思います。
たくさんの登場人物が出てきますが、恐れ(畏れ)にまつわるイメージで見ていくことができると思います。ヘブライ人が増えすぎ、ファラオは恐れています。その言葉を聞いて、エジプト人たちも同様だったのでしょう。だから、彼らはヘブライ人たちを奴隷としてこき使いました。あるいは、大人になったモーセです。同胞が打たれているのを見て、加害者を殺してしまいました。誰も見ていなかったはずでしたが、翌日別のヘブライ人の同胞に言われてしまった。「あのエジプト人を殺したように、私を殺そうというのか」と。それを聞いて、「モーセは恐れ、きっとのあのことが知られているのだと思った(2:14)」。ファラオやエジプト人の恐れは、まさに、現代社会を覆い尽くしてしまっている恐れであるように思います。難民・移民のために自分たちの権利が侵害され、彼らの方が得をしているという根拠が曖昧な脅威感のための恐れと、そこから生まれる憎しみです。モーセの恐れ、自分の隠したはずの憎しみや暴力的な言動が知られているのではないかという恐れです
ところが、ここには別の畏れもあります。ファラオからヘブライ人の男児を殺せと命じられた助産婦です。「助産婦たちは神を畏れていたので、エジプトの王が命じたとおりにはせず、生まれた男の子を生かしておいた(1:17)」。あるいは、モーセの姉です。川に浮かぶ弟の籠を見守り、それを見つけたファラオの娘の前に進み出た彼女は、ファラオを恐れてはいなかったのでしょう。
助産婦たちがファラオを恐れなかったのは、神を畏れていたからです。私たちは、何を恐れているのでしょうか。本当に畏れるべき方を畏れているのでしょうか。

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