2019年3月1日金曜日

2019年3月1日(レビ記18〜19)

今日の通読箇所:ヘブライ人への手紙1、レビ記18~19、詩編71

レビ記18~19;
「あなたがたは、住んでいたエジプトの地の風習に従ってはならない。また私が連れて行くカナンの地の風習に倣ってはならない(18:3」。ここに、「風習」という言葉が出てきます。日本語として、どういう意味なのか。日本国語大辞典を調べてみると、「ならわし、習慣」とありました。そこで「ならわし」を調べてみるといくつか語釈がありましたが、その中に「なれさせること」というものがありました。エジプトの地で、あるいやこれから入るカナンの地でみんなが慣れている生き方をまねするな、というのです。具体的には、第18章では性倫理について触れられています。エジプトやカナンでそこまで近親相姦が横行していたのかどうか分かりませんが、ここではそのように触れられています。
第19章では、今度は「聖なる者となりなさい。あなたがたの神、主である私が聖なる者だからである」と言って、ならわしに従うのではなく神に従う生き方はどういうものかということが話題になります。例えば、「隣人を虐げてはならない。奪い取ってはならない。雇い人への賃金を翌朝までとどめていてはならない(13節)」などと言います。この時代はもちろん貯金なんてないでしょうし、貧しい雇われ人は毎日の給金によるその日暮らしでしょう。主人に比べて、圧倒的に立場も生活基盤も弱い。そういう人を軽んじるな、と言います。
私たちの「ならわし」、これまで慣れてきた生き方は、どういうものでしょう。性的な逸脱を純愛と言ってドラマにしたり、弱く貧しい者からの搾取を正当化する社会です。私たちは、どうやって生きるのでしょう。聖なる神様の御前で、自分自身をどのように聖なる者、すなわち神のものとして献げて生きるのでしょう。

2026年1月31日の聖句

主よ、あなたの働きは私を喜ばせる。 私はあなたの手の業を喜び歌おう。(詩編92:5) (足が不自由であった男は)躍り上がって立ち、歩き出した。そして、歩き回ったり踊ったりして神を賛美し、(ペトロとヨハネ)二人と一緒に境内に入って行った。(使徒3:8) 使徒ペトロとヨハネとに足を癒...