今日の通読箇所:マルコによる福音書9:1~29、申命記11~12、詩編107
申命記11~12;
「見よ、私は今日、あなたがたの前に祝福と呪いを置く。もし、今日私が命じる、あなたがたの神、主の戒めに聞き従うならば祝福を、あなたがたの神、主の戒めに聞き従わず、私が今日あなたがたに命じる道を外れ、あなたがたが知らなかった他の神々に従うならば、呪いを置く(11:26~28)」。
主なる神様に従うのか、別の何かに従うのか。二つに一つ、あれかこれかだ、と言います。いいとこ取りはありません。主なる神様が準備していてくださる祝福の道を進むのか、他の何者かが提供するものを手に入れようとするのか。主なる神様は、私たちがご自分の祝福の道に生きることを心から望んで、待っていてくださいます。
「あなたがたは、焼き尽くすいけにえ、・・・、牛や羊の初子をそこに携えて行き、あなたがたの神、主の前で、あなたがたも家畜も共に食べ、あなたの神、主が祝福してくださったすべての手の業を楽しみなさい(12:6~7)」。
礼拝、それは祝祭です。お祝いです。神様に聞き従う、それは、このお方のみを礼拝するということです。この方にだけ賛美を献げ、このお方の御言葉に聞き従い、このお方を喜ぶということです。神様の祝福に、私たちも祝いの喜びを献げます。
「あなたが行って追い払おうとしている諸国民を、あなたの神、主があなたの前から滅ぼし・・・彼らがあなたの前から滅ぼされた後、あなたは彼らに倣って罠に陥らないように気をつけなさい(12:29~30)」。
他の人はこうしているから、みんながこう言っているから。それは、神を信じる者にとっては罠です。主なる神様の前での祝祭に生きるのか、それ以外の何者かを信じ、その前で犠牲を献げて仕えるのか。私たちは誰の言葉に聞き従うのでしょう。世間のみんななのか、私たちのためにキリストを下さった父なる神様なのか。神様は私たちを祝祭の喜び、大きな祝福の中へと、今日も招いてくださっています。
2024年12月27日の聖句
遠く地の果てまで、すべてのものが我らの神の救いを見た。(詩編98:3) また、幸いなる希望、すなわち大いなる神であり、私たちの救い主であるイエス・キリストの栄光の現れを待ち望むように教えています。(テトス2:13) すてきな言葉です。「幸いなる希望」と言っています。私たちにとって...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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神によって私たちは力を振るいます。(詩編60:14) きょうだいたち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を、神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。(ローマ12:1) 今日の二つの御言葉がいっしょに掲げられているというのは本当に面白いなと思います。神によっ...
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仲間に向かって平和を口にするが心には悪意を抱いている「神に逆らう者」いる。しかし、私は主を呼び求めます、と告白する。「至聖所に向かって手を上げ、あなたに救いを求めて叫びます。」新約の信仰に生きる者にとって、この至聖所はキリストがおられる「恵みの座」であり、我らは大胆にもそこに近...