今日の通読箇所:マルコによる福音書8:22~38、申命記9~10、詩編106
申命記9~10;
ヨルダン川の向こうの神が与えてくださる地。それは、イスラエルの人々が正しく、立派だったから与えられるのではありません。「あなたがたは、自分が正しいから、あなたの神、主がこの良い地を所有させてくださるのではないことを知りなさい。あなたは、実にかたくなな民なのだ。あなたの神、主を荒れ野で怒らせたことを思い出し忘れないようにしなさい。エジプトの地を出た日から、この場所に至るまで、あなたがたは主に逆らい続けてきた(9:6~7)」。
私たちは、繰り返し、主なる神様を裏切り、悲しませ、罪を犯してしまっています。それにもかかわらず、神様は今日も私たちを生かしてくださっている。私たち自身には、その理由はないのです。
それならば、「今、あなたの神、主があなたに求めておられることは何(10:12)」でしょうか。それは、「あなたの神、主を畏れ、主の道をいつも歩み、主を愛し、あなたの神、主に、心を尽くし、魂を尽くして仕え、私が今日あなたに命じる主の戒めと掟を守って、あなたが幸せになることではないか(12~13節)」と言われるのです。主なる神様は、私たちが心を込めて主の御許に立ち返り、私たちの真心からの愛を喜び、それを待っていてくださいます。
そのことを、とても印象的な言葉で言い表しています。「だから、あなたがたの心の包皮に割礼を施し、二度とかたくなになってならない(16節)」。体の切り傷が大切なのではない。私たちの心が神様のものになることをこそ、神様は求めておられる。私たち自身を献げる礼拝を、神様の御前に献げたい。そう願います。
申命記9~10;
ヨルダン川の向こうの神が与えてくださる地。それは、イスラエルの人々が正しく、立派だったから与えられるのではありません。「あなたがたは、自分が正しいから、あなたの神、主がこの良い地を所有させてくださるのではないことを知りなさい。あなたは、実にかたくなな民なのだ。あなたの神、主を荒れ野で怒らせたことを思い出し忘れないようにしなさい。エジプトの地を出た日から、この場所に至るまで、あなたがたは主に逆らい続けてきた(9:6~7)」。
私たちは、繰り返し、主なる神様を裏切り、悲しませ、罪を犯してしまっています。それにもかかわらず、神様は今日も私たちを生かしてくださっている。私たち自身には、その理由はないのです。
それならば、「今、あなたの神、主があなたに求めておられることは何(10:12)」でしょうか。それは、「あなたの神、主を畏れ、主の道をいつも歩み、主を愛し、あなたの神、主に、心を尽くし、魂を尽くして仕え、私が今日あなたに命じる主の戒めと掟を守って、あなたが幸せになることではないか(12~13節)」と言われるのです。主なる神様は、私たちが心を込めて主の御許に立ち返り、私たちの真心からの愛を喜び、それを待っていてくださいます。
そのことを、とても印象的な言葉で言い表しています。「だから、あなたがたの心の包皮に割礼を施し、二度とかたくなになってならない(16節)」。体の切り傷が大切なのではない。私たちの心が神様のものになることをこそ、神様は求めておられる。私たち自身を献げる礼拝を、神様の御前に献げたい。そう願います。