2019年4月1日月曜日

2019年4月1日(申命記13〜14)

今日の通読箇所:マルコによる福音書9:30~50、申命記13~14、詩編108

申命記13~14;
何年か前にフィリピンのカンバーランド長老教会の姉妹教会を訪問しました。私たちが訪問するのに合わせて、信徒研修会のような集会が現地で開かれました。その時に、十分の一の献金の話を何度もしていたことが印象に残りました。
フィリピンの教会は都市部ではなく、地方にあります。はっきり言って田舎です。教会に来ているのは、かなり貧しい人です。そして、彼らの伝道圏はスラムでした。そういう教会で、十分の一のささげ物の話を熱心にしていたのです。教会の人も熱心に聞いていました。
「あなたは、毎年、畑に種を蒔いて得るすべてのすべての収穫から、必ず十分の一を取り分けなさい(14:22)」。「取り分けなさい」と言っていることが大事なのだと思います。収入を得たとき、まず自分の必要のために使ってあまりを献金するというのではありません。最初に十分の一を取り分ける。そしてそのあまりで生活する。それが献げるということです。
私たちカンバーランド長老教会の信仰告白では、このように言っています。「ささげ物に対する聖書の指針である十一献金は信仰の冒険であり、豊かに報いられる業である。十一献金者は、神の恵みを経験するだけでなく分かち合う恵みをも経験するのである(6.13)」。冒険には危険がつきものです。しかし、あえて危険を冒して冒険しなければすることのできない経験があります。ここでは、それは「分かち合う恵み」だと言います。「受けるよりは与える方が幸いである(使徒言行録20:35)」という主イエスの御言葉を思い起こします。この恵み、この幸いに、私たちは召されています。

2024年4月28日の聖句

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