2019年4月2日火曜日

2019年4月2日(申命記15〜16)

今日の通読箇所:マルコによる福音書10:1~31、申命記15~16、詩編109

申命記15~16;
「この地から貧しい者がいなくなることはないので、私はあなたに命じる。この地に住むあなたの同胞、苦しむ者、貧しい者にあなたの手を大きく広げなさい(15:11)」。同胞である兄弟の中の貧しい者のためにこのようにしなさい、と教えています。
さらに、そのような人の一人が身売りしなければならなくなり、自分の奴隷になるとしたら、その人は七年目に解放しなければなりません。そして、「自由の身としてあなたのもとを去らせるときは、何も持たせずに去らせてはならない。あなたの羊の群れから、あなたの麦打ち場から、あなたの絞り場から惜しみなく与えなければならない。あなたの神、主があなたに祝福したものを、彼に与えなければならない(16:13~14)」と言うのです。
人間の社会が続く限り、貧しい人がいなくなることはないし、しかもそれが身売りせねばならぬほどの貧しさが社会の中に残り続けることを、冷静に見ています。しかし、それを「仕方がないことだ」とは言わないのです。貧しい人を見たとき、その人を自分の兄弟・姉妹として大きく手を広げて迎え、主が与えてくださったものを惜しむことなく分け与えるように言うのです。
とても素敵な御言葉であると思います。ただ、引っかかるのは「外国人からは取り立ててもよいが、同胞があなたに負っている負債は免除しなければならない(12:3)」と、同胞と外国人とを区別しているところです。私たちが兄弟姉妹として愛すべき対象は、結局はどこかに引くべき境界線があるのでしょうか?ただ申命記だけを読む限りでは、そういうことになるのかもしれません。しかし、私たちの視線を新約聖書にまで広げたとき、事情は異なってきます。主がしたあの憐れみ深いサマリア人のたとえ話では、サマリア人は自分の同胞ではなかったユダヤ人を助けました。主は、言ってあなたも同じようにしなさいと言われました。誰が隣人であり、誰が愛すべき対象なのかを考えるのではなくて、ここから出て行って隣人を愛するように、と言われるのです。思えば、主ご自身がそのようにして私たちのところにまで来てくださったのです。私たちを、愛に生きる信仰へ招き入れるために。

2024年5月10日の聖句

(主の言葉)私はあなたがたを顧み、多くの子どもを与え、数を増し加えて、あなたがたと契約を立てる。(レビ26:9) キリストによって、体全体は成長させられ、愛の内に造り上げられてゆくのです。(エフェソ4:16) キリストは、私たち教会を今地上にあるご自分の体としてくださいました。私...