今日の通読箇所:ルカによる福音書6:27~49、ヨシュア記1、詩編119:65~80
ヨシュア記1;
「さあ今、あなたとこの民は皆立ち上がり、このヨルダン川を渡りなさい。その先には、私がこの民、イスラエルの人々に与える地がある。私がモーセに告げたとおり、あなたがたの足の裏が踏む所をことごとくあなたがたに与える(2~3節)」。
昨日読んだモーセの最後の説教でもそうであったように、神はすでに約束の地を与えてくださいました。しかし、今現にそこにはカナン人、エブス人、ヒビ人などがいます。現実的には、まだイスラエルのものになっていない。しかし、神はもうすでにこれを与えたと約束しておられます。この約束は、棚からぼた餅が落ちてくるようには実現しません。神は、「あなたがたの足の裏が踏む所を」与えると言われます。私たちが神の約束を信じて、この足で約束の地を踏みしめ、進んでいかなければ、神の約束は実現に移らないのです。神は、今日、私たちがこの足の裏で踏む所を与えてくださいます。私たちは神を信じるがゆえに「大いに強く、雄々しく(7節)」進んでいきます。
ところで、足の裏が踏む所をすべて与えると言ったとき、好き勝手に自分の好みに任せて、欲しいものは何でももらえるというわけではありません。「私の僕モーセがあなたに命じた律法をすべて守り行い、そこから右にも左にもそれてはなならい。そうすれば、あなたはどこに行っても成功を収める。この律法の書を口から離さず、昼も夜もこれを唱え、書かれているすべてのことを守り行いなさい(7~8節)」。私たちがこの足でまっすぐに進むための羅針盤が与えられています。モーセが与えた律法、私たちで言えば、聖書の御言葉です。聖書が私たちの羅針盤となり、私たちが右にも曲がらず左にもそれずにただまっすぐ進むことができる。それこそ、私たちの幸いに他ならない。神様こそ、私たちの幸いを準備していてくださるからです。神が約束してくださったすばらしい祝福に、神が私たちを導き入れてくださいます。
2026年5月29日の聖句
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