今日の通読箇所:ルカによる福音書22:24~46、サムエル記上18~19、ヨブ記7
サムエル記上18~19;
ゴリアトを倒したダビデはサウルの家臣になります。王は彼を戦士の長に任命しました。彼は歴戦の勇士となり、人々はダビデの戦果を喜びます。「そのことはすべての民にも、またサウルの家臣にも喜ばれた(18:5)」。ところが、ダビデの戦果は王が考えていたよりも遙かにめざましく、人々はダビデをたたえるようになります。ついに、王はこの家臣を妬むようになりました。戦地からかサウルとダビデと共に凱旋したとき、女たちがタンバリンを打って喜び歌います。「サウルは千を討ち、ダビデは万を討った(7節)」。これを聞いてサウルは激怒しました。「ダビデには万と言い、私には千と言う。あとは王位を与えるだけか(18:8)」。
このときからサウルはダビデを激しく妬み、憎むようになりました。あるいは、このようなこともありました。サウルの娘ミカルは、ダビデの妻になりました。ミカルのダビデへの愛を見て、サウルはまた彼を恐れ、妬みに駆られました。「サウルはますますダビデを恐れた。そして生涯ダビデの敵となった(29節)」。
これらの出来事は、偶然の出来事ではありませんでした。サウルもそのことは知っていました。「主はダビデと共におられ、サウルから離れてしまったので、サウルはダビデの存在を恐れ・・・(18:12)」、「サウルは主がダビデと共におられること、娘ミカルがダビデを愛していることを思い知らされた(18:28)」、あるいは、19:19以下ではダビデを殺すことを神様ご自身に邪魔されてしまいます。サウルは認めたくなかったのです。王としての自分の召しが終わってしまったことを。それがダビデに移り、神は彼を新しい王としてお立てになったことを。サウルの気持ちは、人間としてはよく分かります。私たちの心の中に妬みほど厄介な気持ちはありません。このどうにもしがたい激しい思いは、私たちの心を焦がし、身を滅ぼす忌々しいほどの強さを持っています。そう思うと、サウルが気の毒になってしまう。しかし、それでも、彼にも主の今の召しに応えて、身を引く道も残されていたはずだとも思います。それを選ぶことはとても困難です。しかし王としては失格してしまっても、一信仰者として生きることは、許されていたはずだったのではないでしょうか・・・。
サウルに起きたこの出来事に耳を傾けながら、私たちが祈るのは、「我らを試みに遭わせず、悪より救い出し給え」という祈りです。
2024年12月22日の聖句
今週の聖句: 主にあっていつも喜びなさい。主は近いのです。(フィリピ4:4,5b) 今日の聖句: あなたこそわが希望なる主。わが神よ、私は若い時からあなたに信頼しました。(詩編71:5) 私たちは、この希望のうちに救われているのです。現に見ている希望は希望ではありません。現に見て...
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神によって私たちは力を振るいます。(詩編60:14) きょうだいたち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を、神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。(ローマ12:1) 今日の二つの御言葉がいっしょに掲げられているというのは本当に面白いなと思います。神によっ...
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さがみ野教会の皆さま おはようございます。 気持ちのいい、爽やかな秋空の朝を迎えました。お変わりなくお過ごしでしょうか。 明日14日の日曜日の礼拝は成長感謝礼拝(子ども祝福式)です。 讃美歌や説教などが子ども向けのものとなり、大人と子どもとが共に神さまを礼拝し、子どもたちへの祝福...
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仲間に向かって平和を口にするが心には悪意を抱いている「神に逆らう者」いる。しかし、私は主を呼び求めます、と告白する。「至聖所に向かって手を上げ、あなたに救いを求めて叫びます。」新約の信仰に生きる者にとって、この至聖所はキリストがおられる「恵みの座」であり、我らは大胆にもそこに近...