今日の通読箇所:ルカによる福音書22:47~71、サムエル記上20~21、ヨブ記8
サムエル記上20~21;
サウルのダビデに対する憎しみはついに決定的になり、ダビデは自分の命の危険を案じなければならない状況に陥りました。しかし、サウルの家にもダビデの頼みが一人だけいました。サウルの息子、ヨナタンです。彼ら二人の間には、すばらしい友情があったのです。「ヨナタンの魂はダビデの魂に結びつき、ヨナタンは自分自身のようにダビデを愛した(18:1)」。
そこで、ダビデはヨナタンにサウルのことで相談をしました。「私が何をし、私にどのような過ちがあるのでしょう。あなたの父上に対し、私がどのような罪を犯したというのでしょう。あの方は私の命を狙っています(20:1)」。「主は生きておられ、あなたご自身も生きておられます。私と死の間には、ほんの一歩の隔たりしかありません(20:3)」。それで、二人は作戦を立てました。サウルの殺意は本当に決定的なものなのかを確か、もしもそうであるならば、ダビデがその手から落ち延びるための。
果たして、サウルのダビデへの殺意は決定的なものだったのです。ヨナタンはそれを二人にだけ分かる秘密の方法で彼に伝えました。彼らは共に泣きました。そして、ダビデはサウルのもとから立ち去りました。
ダビデにとって、ヨナタンという存在はどんなに大きな助けであったことかと思います。神様は、危険の中でヨナタンという人をちゃんと準備していてくださいました。あるいは、ダビデは第21章では祭司アヒメレクとガトの王アキシュという人のところに身を寄せます。アキシュなどは必ずしも全幅の信頼を置いて頼れるわけではありませんでした。しかし、それでも神様はその時その時に必要な助けを備えてくださっていたのです。ダビデは、根本的にはそのことを信じて生きていた。詩編第56編はガトにいたダビデの祈りの言葉と言われています。「神よ、私を憐れんでください」と言って始まるこの祈りの言葉には、目に見えない神を信じ、神に頼って生きていたダビデの信仰が現されているのです。