今日の通読箇所:使徒言行録1、サムエル記上28~29、ヨブ記12
サムエル記上28~29;
ペリシテはイスラエルと戦うために軍を集結させました。恐れをなしたサウルは、あろうことか、霊媒師のところに行きます。サムエルと話したいと考えたのです。
「サムエルが死んだとき、全イスラエルは彼を悼み、彼の町ラマに葬った。その時、すでにサウルは国内から霊媒や口寄せを追放していた(28:3)」。霊媒や口寄せは、律法によって厳しく禁じられていました。「あなたの中に、自分の息子や娘を火にくぐらせる者、占い師、卜占する者、まじない師、呪術師、呪文を唱える者、口寄せ、霊媒、死者に伺いを立てる者などがいてはならない(申命記18:10~11)」。ですのでサムエルはこれに忠実に、霊媒や口寄せを追放していたのです。
しかし、サウルはあろうことか霊媒師を訪ねてサムエルの霊を呼び寄せました。そして、サムエル(と霊媒師が言い、サウルがそう信じているだけのことですが)に訴えます。「私は困り果てています。ペリシテ人が戦いを仕掛けているのに、神は私から離れ去り、もはや預言者によっても、夢によってもお答えになりません。あなたをお呼びしたのは、なすべきことを教えていただくためです(15節)」。つまり、サウルは、不安だったのです。自分を見出してくればサムエルは、自分の不信仰のために自分を見捨ててしまった。若い対抗勢力になるダビデが台頭し、自分の地位を脅かしている。頼みのサムエルは、もうすでに死んでしまった。不安で、さみしくて、何かにすがりたかったのではないでしょうか。しかし、祈っても祈っても答えは聞こえてこない・・・。たとえ死者であろうとも、サムエルにすがりつきたくなる気持ちは、どこか分かるところがあるのではないでしょうか。
口寄せや霊媒、占い、易学、そういうものは、私たちの不安な心が欲します。少しでも安心できるように。少しでもましな道を選ぶことができるように。しかし、本当に、神はサウルに答えてくださっていなかったのでしょうか。実は、神様はサウルがどうすべきだったのか、答えておられました。それは、サウルが王の地位を退いて、新しく神が王として選んだダビデに明け渡すことでした。それはサウルにはあまりにもつらい選択です。それこそ不安です。しかし受け入れがたい選択をごまかすために、サウルは、主の前で決してしてはならないことをしました。この霊媒は、神様に自分が言ってほしいことを言わせるための手段です。結局、サウルはそれにも失敗してしまった。
サウルの物語は、悲劇的で、とても悲しい物語です。しかしこのサウルという人物は、私たちに、私たち自身の姿を見せる鏡のような存在だと思います。私たちの罪の現実は一体どういうものなのか、この一人の人を通して聖書は深く語っているのではないでしょうか。
2024年12月22日の聖句
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