今日の通読箇所:使徒言行録16:16~40、列王記上15~16、ヨブ記37
列王記上15~16;
北王国、南王国、それぞれに何人もの王の名前が登場します。評価は様々です。南王国は、レハブアムの息子のアビヤム、そしてその息子のアサという二人が登場します。二人の評価は正反対。「アビヤムは、かつて父が犯したすべての罪を犯し続け、その心は、父祖ダビデの心と異なり、自分の神、主に対して誠実ではなかった(15:3)」と言われています。ところがアサは「父祖ダビデと同じく、主の目に適う正しいことを行い、・・・(11節)」と評価されています。
北王国の特徴は、短期間にめまぐるしく王朝が変わっていく点です。ヤロブアムの息子ナダブの治世にクーデターが起き、バシャという人の王朝が始まる。バシャの息子ティルツァの時代にまたクーデターが起き、・・・と、いろいろな王家に移り変わっていきます。しかし、一貫して、彼らは「主の目に悪とされることを行ってヤロブアムの道を歩み、イスラエルに罪を犯させたヤロブアムの罪を犯し続けた(15:34)」という点で共通しています。
ダビデの道、つまり主に従う道。そして、ヤロブアムの道、つまり主の目に悪とされる道。どう違うのでしょうか?第9章で、主なる神様がソロモンに現れ、このように言われました。「あなたがもし、父ダビデが歩んだように、誠実な心で正しく私の前を歩み、命じられたことをすべて行い、掟と法を守るなら、私はイスラエルのあなたの王座をとこしえに確かなものとする」。あるいは、11:38では、ヤロブアムにも同様のことを言っておられます。
ダビデの道、それは、主の御言葉に従って生きる道です。他の神々を取り除き、一心に神に誠実を献げて生きる道です。王たちの治世は、その一点で評価されています。政治家として有能かどうかということに聖書は関心を持っていません。この人は神に従っているか、そうではないのか。ただ神のみを愛しているのか、他のものを神として祭り上げているのか。聖書が私たちに向ける目は、ただその一点だけです。
16:34以下のエリコの壁の一件は、神の言葉の力を私たちに思い出させます。歴史を作る力を持つ神の言葉を信じ、これに従って生きるのか。その一点での決断を、私たちは今求められているのではないでしょうか。
2025年7月2日の聖句
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神によって私たちは力を振るいます。(詩編60:14) きょうだいたち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を、神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。(ローマ12:1) 今日の二つの御言葉がいっしょに掲げられているというのは本当に面白いなと思います。神によっ...