2019年6月24日月曜日

2019年6月24日(列王記上13〜14)

今日の通読箇所:使徒言行録16:1~15、列王記上13~14、ヨブ記36

列王記上13~14;
分裂した北王国の名前はイスラエル、南王国の名前はユダと言います。ソロモンの配信の結果として、神が王国を裂き、10の部族をヤロブアムに与えました。これが北王国。しかしダビデのゆえに神はその家を憐れみ、ユダともう一つの部族だけが残ったのが、南王国です。
ところが、ヤロブアムもまた、神に対して忠実な人物ではありませんでした。神は預言者を遣わして、彼を断罪します。王は預言者を畏れて接遇しようとしましたが、彼は神から当地では食事もしてはならないし、水も飲んではならないと命じられていると言って、そのまま帰ってしまいました。ところが、その地方にある年老いた預言者がいた。彼はヤロブアムの所へ来た預言者と会いたくなって彼と会い、嘘をついて、自分の家へ招いて食事をさせます。なんと、騙された預言者は、食事もするな水も飲むなと言う神の言葉に背いたとして、ライオンに食い殺されてしまいました。
あまりにも不可解な話です。裁くのなら嘘をついた老預言者にするべきではないか、と私は思いました。しかし、少し視点を変えてこの話を読んでみると、見えてくるものがあります。それは、主の言葉です。最初に登場した預言者と老預言者。二人の人間関係として考えると理不尽な話ですが、神の言葉が実現するという点から見ると、まさに、最初に神があの預言者に命じたとおりになっています。そして、彼がヤロブアムの所で預言した言葉、「見よ、ダビデの家に男の子が生まれる。その名はヨシヤと言う。彼は、お前の上で香をたく高きところの祭司たちを、お前の上で屠り、人の骨をお前の上で焼く(13:2)」という言葉は、何百年という時代を経て、やがて実現していきます。御言葉が、歴史の中で実現していく。それは、一貫している。あまりに一貫しているので、時に人の目には理不尽にさえ映るのです。
それは第14章のヤロブアムの家の出来事でも、同じです。神様の御言葉は、歴史の中で出来事を起こしていく。どんなに王たちが神を無視して自分の立場のために好き勝手に振る舞っても、人の目に見えないところで歴史を作るのは、神の言葉。それは、いつでも変わることがないのです。

2024年6月17日の聖句

新しい歌を主に歌え。まことに主は奇しき業を成し遂げられた。(詩編98:1)  私たちは皆、この方の満ち溢れる豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを与えられた。(ヨハネ1:16)   私たちの主を賛美する新しい歌は、主の奇しき業から始まります。主がなしてくださった御業に応えて、私た...