2019年6月6日木曜日

2019年6月6日(サムエル記下7〜8)

今日の通読箇所:使徒言行録4:23~37、サムエル記下7~8、ヨブ記17

サムエル記下7~8;
ダビデ王は王宮に住むようになりました。ダビデは預言者ナタンに言います。「見なさい。私はレバノン杉の家に住んでいるが、神の箱は天幕の中に置いたままだ(7:2)」。だから、神殿を造って神の箱を安置するべきではないか、と相談を持ちかけたのです。ナタンも王のこの申し入れを聞いて、当初は支持しました。「心にあることは何でも行いなさい。主はあなたと共におられます(3節)」。
ところが、主の言葉がナタンに臨みました。神様がエジプトから人々を導き上って、神の箱を中心とした彼らに、これまで一度でも私のための家を造れと言ったことがあるだろうか、と。そして、言います。「今、私の僕ダビデに告げなさい。『万軍の主はこう言われる。牧場で羊の群れの後ろにいたあなたを取って、私の民イスラエルの指導者としたのは私だ。あなたがどこに行こうと、私は共にいて、あなたの前から敵をことごとく絶ち、地上の大いなる者の名に等しい名をあなたの者とする。・・・』(8~9節)」。つまり、神様は、あなたが私のために家を建ててあげるというのは間違っている、私がお前を選び、敵をお前のために追い払い、私がお前を王としたのだ、と言われるのです。
神様と私たちとの関係は、ギブ・アンド・テイクではありません。あるいは、対等な関係、持ちつ持たれつではありません。私たちは、ただ一方的に神様に生かされ、今あるものとして頂いているのです。それが、神の恵み、ということの意味です。ダビデが知らされたのは、この神の恵みでした。
7:18以下の祈りは、途方もない神の恵みに生かされていたことを知った一人の信仰者の祈りです。「主なる神よ、あなたはまことに大いなる方、私たちの知るかぎり、あなたのような方はなく、あなたの他に神はありません。この地上に、あなたの民イスラエルのような国民が一つでもありましょうか。神はこれを贖うために来られて、ご自分の民とし、この民に名を置かれました(22~23節)」。これは、私たちも、私たち自身の祈りの言葉とすることが許されている祈りです。

2024年12月23日の聖句

私は自分の背きを知っています。罪は絶えず私の前にあります。(詩編51:5) 私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、あらゆる不正から清めてくださいます。(1ヨハネ1:9) クリスマスにお生まれになった救い主は「イエス」と名付けられました。主の天使...